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穀潰しなスプロールの国で


仏暦2553年03月28日 日曜日

 先般、文献収集のために母校を訪れるプチ出張をして来ました。雪の降る日です、いろいろと考える事などもこれあり。

          †

 そもそも、廣島の出身学科が拡大して学部になったのはおめでたかったのですが、学部ごと同時に田舎に移ってしまい、久しいものがあります。あんまり足の便が良くありません。だが、大学発行のクレジットカードを持っていれば図書館を使わせてくれる寛大さが嬉しい。学生増えました、偏差値下がってません。卒業してから30年近く、価値が下がらない学校で良かった〜。

 これからは、そもそも潰れる学校がどんどん出てくる筈です。大学と言うものも、大半は中身が大学と言って良いのかどうか。訳の判らない田舎やら地主やらお偉いさんやらに湯水のごとくお金をつぎ込んだ結果、今や日本ははっきり先進国ではなくなり、更に転落中です。

 さて、図書館の利用は、それなりに寄付金や校友会費は出しているから、まぁこんなものかと思っていると、そうでもないのです。OBOGでも部外者全くお断り!の大学もあれば、3000円年間払えば使えます、と言う所もあります。OPACで見てみると3000円払って使いたい程の蔵書ではないのが情けない。しっかりした学術書になるべきお金は訳の判らない田舎やら…以下同文。

 図書館は、文字どおり学校やその国の生命線だと思います。図書館や図書室が駄目になったり挙げ句は閉鎖されるような学校・組織・国は、いずれ立ち行かないでしょう…って、それは廣島の…。(自爆)

          †

 図書館が始まる時間がやや遅めなので、いつもよりは少々遅い時刻に、途中迄いつもの鉄道路線で行きます。と…乗っている人たちの顔つきが根本的に違う!どう見ても、大した働きが出来るとは思えないメンツが、出勤して行くのです。車内で雑誌を読む手つきからして明らかに不器用な人すら混じっている程。女性陣も、ブスです。ああ、全然ポリティカル・コレクトじゃありませんね。

 残念ながら、それなりに年を取れば、個人毎の能力や意欲の差は隠しようがありません。ごく僅かの例外を除き、駄目だった人に爾後幾ら投資をしてもその個人を甘やかすだけにしかならない。投資は、どこかに散っていきます。

「鉄は熱い内に打て」

 我が子が小学校に通い始めてから、更に日本の人的資源の悲惨さが見えてきました。どうやら、大学がどうの高校がこうのと言う水準ではなくなったようです。高校生の圧倒的多数が、大学生の相当多数が、本来中学校までに、または高校までに修得すべき事を時間延長でやっているだけ。おっと、時間延長ではなく、実際には時間切れです。

「小学校教育をしっかりするように、小学校を立て直す」

事だけが問題を根本的に解決するように思えます。

          †

 それにしても、公私ともに、あられもない欲望に支配された人たちに土突き飛ばされるばかりで、本当に疲れます。ああ、休みたい、と思っても、バブルで高掴みさせられた自宅は狭隘。大したこともない旅館に泊まるのでも一泊一万円以上はします。

 皆さん、がめつい、がめつい。目先の私利私欲を満たすこと以外は思い浮かばない。お互い首を絞めあってお金を苦し紛れに吐き出すのを待っている、と言うのが日本の本当の姿。首を絞める力が過ぎて、黄金の卵を産むニワトリを絞め殺す時は、ほらもうそこに。

          †

 図書館は森閑としていました。こんなもんだったかな、と思いつつ、所用の文献を漁りまくります。さて、昼食…と思って学食に出てみたらば…閉まってました。しまったぁ〜大学って、休みが物凄く長いのでした。取り敢えず小腹満たしに自動販売機の目一杯甘いコーヒーを飲んでいたらば、女学生2名が駆け込んで来て、あ、やってない! 彼女たちも”判っていなかった”と言う訳。

 出身学科の建物に回ってみます。当然ながら殆ど出勤して来ていませんでした。入り口の電子式掲示板で判るのです。大学に出てきていないからと言って働いていないと言う訳ではないのが、大学の先生と言うもの…なハズ。大学の働き方のコモンセンスと、廣島の職場の働き方のコモンセンスの違い。勿論、別の職場にはまた別の働き方のコモンセンスがある訳で、例えば廣島が今日こうして一人文献漁りに来る、と言うような行動をするのがヒジョウシキな職場もまた多く存在する筈です。

          †

 さて、この大学近くには殆どお店らしいものがありません。

 そう言えば、駅から歩いてくる途中に、素晴らしく広大な畑があります。まだ春遠い季節なのに、早くも遠目にはニンジンと思しき作物がびっしり植えられています。ロクな生産性を上げていない大方の日本の農業にあって、鶏卵、鶏肉、ニンジン、大根、キャベツ等はマトモに農業をやる気力と能力のある人々にとっては効率的な生産が行われている数少ない品種になっています。

「最も効率が悪いのが、コメ」

であるのは言うまでもなし。だが、その畑地の周囲には大振りではあるが庭も殆どない一戸建ての群れがびっしり…。こういう風景を、スプロールと言います。

「国土計画、都市計画の欠如」

そのもの。文明に反した田舎、と言う事です。

          †

 でまぁ、しっかり農業をやっているだけ、ここはまだマシ。

 大した技術も熱意もないのに、漫然と土地を握り、様々な地方交付税と補助金を湯水の如く貰い、運よく道路が出来たりすれば土地を小分けにして売って大きなお金をゲットする、土地を売る気がないならば低品質な駐車場とアパートで儲ける…そんな人たちばかりを日本は大事にして来ました。大事にする人種を全く間違えています。

 そういう人が土地を手放さないから、逆に都市化しつつある中に、このような篤農家が忽然と残存したりします。いくら農業をやる能力と意欲があっても、土地を求めて移動したり新規参入する事が出来ないのです。

          †

 大学正門から少々歩いた所にチェーン店のステーキ屋さんを見つけたので、入りました。悪くはないのですが、昨今食べ物のお値段が少しづつ上がっているように思えます。こういう訳で、国産の食べ物は高すぎるんですけどね。

 回りは近所の主婦連と思しき人たちばかりで、ほぼ満席。廣島は目一杯浮いてました。良く見ると、彼女たちは結構着飾ったりしています。このスプロール地域の真ん中では、ステーキハウスでランチするのが彼女たちの文化的生活であるらしい。

 もっときちんと都市が都市として形成されていれば、彼女たちもたかがステーキハウスでランチするのに満足するのではなく、もっと創造的な文化的活動が出来たでしょうに。専業主婦は不良債権だ、などと罵倒する識者めいた方もおられますが、彼女たちの”働き”を奪っている本当の原因は、きちんと都市を都市として形成出来ていない事ではないか、と思えます。

          †

 こんな事を書いている内に、島根県出雲市ではビアホールがオープンした由、NHKテレビがわざわざの御放映。”地元”のいい年した男共が、昼間から酒飲んでました。

 何か、文化的な事をしていると言うパフォーマンスでしょう、世界一長い巻き寿司とか言うのが良く田舎で作ったのなんのと言う話が報道されますが、そういう下らない行為と同じです。

 と言うのは、人口希薄地帯に単独でのビアホールなんて成立しているものとはそもそもとても思えない。ビールを供すると言うならば日本中で年中行われている事ですが、東京ですらビアホールは大幅に減少しました。

 でまぁ、いい加減働くのが馬鹿馬鹿しくなりつつあるので、ああ、昼間からビールをゆっくりきこしめしてみたいなぁ、と言う話。出雲の人たちは他人のカネで昼間から酒飲めてシアワセです。

          †

 午後になったらば、図書館には学生が増えてきました。お昼ご飯を食べてから出てきたのでしょう。流石”本職”、判っている。

 それにしても、雑誌の書架には随分中国語の雑誌が増えました。まだ学術の世界は英語一本やりですが。その内、これらの中にポルトガル語、マレー語、スペイン語、アラビア語、ロシア語…等がどんどん混じるようになるでしょう。アメリカやイギリスだけではない世界、がもう訪れつつあります。

 大学と言うのは一応は第2外国語まで修得するのですが、英語さえおぼつかない学生や卒業生が圧倒的多数。だが、第2外国語どころか、第3外国語も一寸は判るのが当然、と言う風でないとホンモノの大卒ではないと見做される時代が来るのだろう、と言う気がします。辞書片手で良いからとにかく外国語文書が読める、身振り手振り英語混じりで良いからとにかく相手に言いたい事が言える、そういうレベルで第3、第4外国語が必要、と言う時代になりましょう。

 こんな事を言うと、外国語を修得するのはとても大変だから英語が世界を制覇するのだ、と講釈を垂れる方が沢山いますが、そうでもないんですよ。

 それはともかく、田舎を捨てよ、スプロールを捨てよ、世界に出よう。

          †

 更に図書館で文献を漁り、へろへろになって、また駅へ。う〜む、こんなことをしていると、どうやら鬱病が間近です。

 駅前、と言ってもそこには観光葡萄畑があったりするのですが、その隣のファミレスから若い主婦が出てきました。ここにもまた、”スプロールの有閑者”が時間を潰していました。何でも良いから、世の中のためになること、しませんかぁ?

 それにしても、このあたりの主婦層は、やけにお顔が平べったい。都心方面での子供時代から蛋白質と刺激をたっぷり浴びて鋭くフルヘッヘンドした顔とは違います。EVO-DEVOの一つの事例と申せましょう。この辺の地元の人で、地元にまたお嫁に入ったと言う所。スプロールと言う奴は、随分と人の移動を妨げるのかも。

 そう言えば、廣島の住んでいるあたりは、子供時代に地元で育ったと言う人が多いのです。我が子が小学校に行くようになってから、それが例外ではない事が良く判ってきました。夫婦の何れかどころか両方が子供と同じ小中学校・幼稚園と言う例がごろごろしています。大学進学率も低いし、うっかりすると銀座に行った事もないと言う人さえ。父親の転勤、大学進学、就職等と転居を繰り返し、出張もそれなり、毎日一時間かけての通勤の廣島にとって、このような人々は驚異的存在としか言いようがありません。人間は”動”物なんですけど〜。

 こんな具合で、親の代から一戸建てとかで住みついている人たちは、何しろ学校も職場も手近にある訳ですから、殆ど引っ越しも移動もしていない筈です。これで書物を読まないとか、新聞を真剣に読まないとか、海外旅行をする気も起きないとなったらば、こういう人たちのメンタリティは、自分たちが住む所が世界の中心でその周囲を太陽や星が巡っていると信じていた時代の人々とさして変わりがありますまい。

 こういう恐ろしい現象は、かような東京近郊ですらかくのごとし。このような”無移動”が物凄く悪い影響を社会に与えているのではないか…と言うような研究、どこかにありませんかね?

          †

 こんな事を「一日1†(ダガー)」でちょぼちょぼ書いている内に、茨城空港が開港してしまいました。98か所目の定期便用空港だそうな。

 日本の国土面積は38万平方kmですが、急峻な山岳地が多いので実質的にはその6割は住宅だの事務所だのには使えない。となると、2326平方kmに一つづつ、つまり48km四方毎に一か所、立派なターミナルがある空港がある事になります。沖縄のような所はそれなりに沢山あっても当然ですが、この値はちょっと足の早い鉄道や道路で1時間もかからない間隔です。

 多すぎですね。空港もあちこちにランダムにごちゃごちゃある、と言う感じでしょうか。これまた、スプロール。日本は国名を

「スプロール地主土建帝国」

とでも変更したらばどうなもんでしょう。

          †

 人間もごちゃごちゃなんでしょう。内親王の登校拒否騒動は実に憂慮すべき問題ですが、注目すべきは”天下の学習院に、2年生にもなって暴行と奇声のお餓鬼様が2名もいる”と言うこと。

 まぁ、廣島の子供の小学校にもそんな子がいます。突然、他の子のランドセルを次々と叩き落としたり、他の子をひっかいて相当の深手を負わせたりしています。教師もコントロール出来ないし、親は親で専門学級に行かせるのおとぼけで拒否。我が子は何故かその子をなだめるのが上手く、毎年一緒のクラスにさせられています。いつから我が子は都の福祉職員にさせられたのだ? 石原さん、福祉予算から廣島に住民税、割り戻して下さい。

 それはともかく、どこの公立小学校でもそんな子は一人二人はいるものでしょうし、ちゃんと育てるようにすれば良いだけのこと。だが学習院となれば、ちゃんとした子供が来ているとか、一年生の時点ではそういう子を十分に教育し切れないにしても2年生になったらばそれなりに制御するとか、親が恥じて何とかする・最悪自ら退学する、と言う高い規則性がある…と誰もが思っていたはずです。

 人間が、そもそもスプロール化しています。ホントの働きをしていない。皆さん、ロボットで良い程度のお仕事で高いお給料やら何やら。羨ましい。

          †

 自宅近くの某ターミナル駅で夕刻から人に会わなければならなかったのですが、小腹が空いてしまいました。スプロールの中のステーキ屋のハンバーグは肉が少なかったし、パンは小さかったと言う訳。随分と地主にぼったくられて経営しているらしい。

 で、マクドナルドに入りました。温かいノンカフェインの飲み物と一寸安いハンバーグでも…と思ったらば、温かい飲み物がコーヒーの類しかありません。驚き! だが思い起こせば、昨今の自動販売機は、真冬でも冷たい飲み物しか並んでおらず、温かいものはコーヒーばかり。興奮剤(※カフェインのことですぞ)を制御して使いたい廣島は泣いてしまいます。

 一体これはどういう事なのか? 田舎や地主やお偉いさんに吸い取られて、働く人たちはストレスを上げ続けて苦しみもがいて働き続けています。鬱病になったりホームレスになったりしていない働く人たちの体温は、取り敢えずは高いのでしょう。だから、冷たいもの、になります。アルコール中毒患者が離断症状を押さえるために更にアルコールを飲むようなもんです。

 と言う訳で、廣島はマクドナルドを去って、別のファーストフード店へ。今はカフェイン、やだ〜。あんまり無理して働くと、ホントにそろそろ鬱病が…。

          †

 それにしても、鬱病やら自殺やらは一向に減りません。自殺や鬱病になった事例を見ていて気付くこと、それは

「家族と言うものが自殺予防や鬱病防止・回復にさしたる役を果たしていないこと」

かみさんや子供は、おとうさんたちの余計な負担になっているだけです。うっかりすると、一家の大黒柱の状態が悪くなると、さっさと家出をしたりして逃げ出しています。

 家族と言うのは子供を産み育てるのが一番大きな機能な訳ですが、肝心のその子供たちは薄められまくった教育課程により、高校を卒業してやっとこさ中学校どころかうっかりすると小学校卒業の学力と言う有り様。おとうさんのピンチによって子供が鍛えられると言う側面もあるのですが、そこから逃げ出すだけでは何の力も付きません。

 結局のところ、フェミニズムにかぶれた人たちは嘘吐き。家庭の中で、誰が働いていて誰が働いていないのか、明らかと言うもの。働くことを拒絶する人たちにも何かとビョードーに社会の保護の手が差し伸べられるのだそうです、羨ましい。

          †

 人に会うまでに時間があったので、やや長めに市立図書館で雑誌を乱読。いや〜、読んで読んで読みまくりました。

 アメリカが発行したインチキ債権を掴まされて153億円の大損失を被った駒沢大学。その経営危機が続いている事を「週刊・金曜日」が報じていました。経営のことも大学のことも判らないお坊さんが曹洞宗から次々大学理事長に送り込まれてくるから、と言うのが論調。お釈迦様の根本的な教えと言うのは、

「因果関係を認識せよ。そうすれば、苦しみの源が執着に基づく欲望によるものである事が判るであろう。よって、執着を捨て去り、欲望を離れると言う試練を乗り越えて彼岸の境地に至るべし。」

と言う非常に簡明なものだと言えます。”因果関係を認識せよ”と言う所がミソ。大学や経営が判ると言うのも因果関係が判ることの一種。そこが判らないと、この”苦しみ”の源は理解出来ない訳で、つまりは高僧とは言えないんではないかと思うのですがね。

          †

 ナショナルジオグラフィックも、おもしろうございましたよ。

 ナスカの地上絵は、あれは雨乞いの儀式の際に歩いた通路だ、と言う説。描かれている生物は、雨が降り始める時期に出現する動物なんだそうな。へぇ〜、クモがねぇ。

 この手の儀式は、雨が降らない事によるストレスから来る興奮行動の一種ではありましょう。だから、止むに止まれずやってしまうと言う面がある。一種の”癒し”。

 だが、目一杯非合理なのも間違いありません。例えば

「ある南洋諸島の一部族は、積極的にシラミを身体にくっつける。人が死にかけるとシラミが離れていくのを見て、シラミが生命の根源だと信じる因果関係の錯語を起こしているからだ」

と言う話がありますが、そういうのとちょいと似ています。ごたまぜの頭の中では、ごたまぜ同士がたまたま関連性を持つと言うことがあるものです。

 文明人だと思い込んでいる我が日本人も、実際にやっている事はこれと同類のものが多々あるように思えるんですが、具体的に口にすると石が飛んできそう。

          †

 日経サイエンスも、なかなか。ああ、アメリカの雑誌が専ら面白い言うのは、つまり日本の雑誌が面白くないと言うことで、実に困ったものです。

 マルチバースの最新理論の解説。重力・電磁気力・強い力・弱い力のパラメータが”この宇宙”のように絶妙な所に落ち着いているのはどうも奇跡に近いのだそうな。だが、生み出された幾多の宇宙の中には、これらのパラメータが違っていても、それなりにダイナミックな世界を展開出来る可能性があり、筆者たちはその計算をやってみたと言うのです。で、弱い力は更に弱くても、それなりに原子に似た存在を生み出し、生命を構築できる宇宙になるとの由。ほへ〜。

          †

 でも、生命って気楽に記していますが、その定義は何でしょうか? 例えば、日経サイエンスの別の記事曰く、”ナノ・バクテリア”と呼ばれていた超超微粒子は、実は単に化学反応によって形成された微粒子に過ぎなかったと。

 生命の定義は、ある閉鎖された領域を構築してその中のエントロピーを減らし、かつ当該領域を再生産する事が出来る領域だ、と言うあたりになりそう。領域の外にエントロピーは吐き出されます。

 その伝で行けば、かの偉大なるスプロールと言うのは、実に非生命的としか言い様がない。十分に農業でもないし、十分に都市でもない。道路には歩道もなく、道路標識すら曖昧。ただのごちゃ混ぜ、ランダムネスは実に高い。国と民族の、死滅。

 ああ、でも地主諸君の懐にはお金が殖え、そこに家を求めたりした働く人たちは素寒貧になっていく、と言うエントロピーの低下だけはありますね。素晴らしい。

          †

 欧州に持ち込まれたイタドリが大繁茂し、原産国の日本で天敵となっているシラミの一種をイギリスに持ち込む計画が進行している由。イギリスご自慢の庭園の煉瓦塀あたりにも根を張るなどしているようです。

「イギリスの生態系」

を一つの完成されたものとして考えると、エントロピーを増大させる侵入者、と言う観点が生じてしまいます。

 まぁ、ハブに対して天敵とされるマングースを持ち込んだらば、か弱い沖縄等の在来動物ばかりを食い荒らすようになってしまった…と言うような例には事欠かないもの。人間以外に見えている”秩序”の世界と人間に見えている秩序の世界は違いますから。

 しかし、随分繁茂してしまったものを根こそぎにするなんて今更出来るもんでしょうか? イタドリはつまりは、すかんぽ。若芽を子供がおやつがわりにぼりぼり食べてしまうと言うので対処できそうな気がしますが。まぁ、捕鯨に対する狂気としか言いようのない反対を見ても、彼の国々においては、

「人間は麦と牛等だけを食べる、少なくとも意図的に栽培したものだけを食べる」

と言うのが”秩序”らしいですから、子供と言えどもそこらへんに生えているものを食べるなんてのはあり得ないことなんでしょうかね。reactionと言う事が判らないのかも。

          †

 とは言え、例えばブラック・バスを単に釣りが面白いからと言ってあちこちの湖等に放流するのも、おこの事。今上陛下からさえ、ブルー・ギル放流に関与したのは不適切だったとお言葉があった程。

「変化は、利益もあるかも知れないリスク」

がリスク・マネジメントの大原則。攪乱には慎重に。

          †

 とは言えの二番煎じ。すかんぽを食べるのは、四国や廣島の出身の東北地方あたりが専らなのかも知れません。四国の人が中国地方に行ったらば、彼の地ではすかんぽを食べる習慣がないのであちこちがすかんぽだらけ。四国の人曰く、「流石本土(本州のこと)だ、すかんぽも豊富だ」、と言うジョークがありました。

 すかんぽを食べるものだと認識するアタマの秩序、食べないものと認識するアタマの秩序。

          †

 なんて事を考えているのですが、この書きぶりはちょいとツィッターに似ているような気がします。図書館で通読した各経済雑誌もあれこれツィッターを持ち上げていました。

 ちょこちょこと連絡を取るためには便利だと言うツィッター。だが、世間にあまたあるツィッターなるものをちょいと見てみれば、何だ、何十人もの人間があれこれぶつくさ言っている内容は、廣島は数分でgenerate出来そう。考える、と言う事を他人様に見せないと考える事も出来ないんでしょうか。

 大体、そのようなぶつくさが、一体どうビジネスと関連するのか、どうも良く分からない。デルコンピュータがこれで成功した、と言うのですが、パソコンを使いこなせない人は一挙手一投足毎のぶつくさを丁寧に読ませる程時間をかけないと理解出来ない、と言うだけの事のように思えます。つまり、

「思考・判断・操作をごく小さく区分したプロセスひとつひとつにまで介入してあげないと、自分からは動けない人々」

が世の中にはとても増えた、と言う事なのでしょう。

          †

 でも、ぶつくさは限りなくランダムなコトバの羅列に近づくものです。頭の中がスプロールだから、国土もスプロールなんでしょう。ああ、そう言えば、家の中がゴミ箱のような状態の人が随分増えたようでもあります。

 スプロールではこれと言うことは何もできません、これと言うものは生まれてきません。ideaは自分から求め、作らなければならないのです。

 さて、ここまで長々しい話におつきあい頂いた方々の頭脳のエントロピーは、増えたのか?減ったのか?

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