読了 人間の覚悟
仏暦2552年07月30日 木曜日
五木寛之 2008年11月20日 人間の覚悟 新潮社
本書の記述は概ね二つに区分出来る。
第1は、”諦念”と言うことと、それ故の中庸を得ることの勧めである。諦めるとは、明らかに究めるのであり、経済的向上とか若さを保つこと、いつも陽気であること、等は今や不可能であると”覚悟”しなければならない、そもそも人生とは常に不幸や気鬱を伴うものなのだ、とする。なお、中庸とは、何れの極端であれ必要に応じて取ることの出来る状態である。
第2は、かような諦念と自在闊達を得るためには全く恵まれない悲惨な境遇を知る必要があると筆者は考えているのであろう、極めて悲惨な事例が随所に織り込まれる。筆者自身旧満州からの引揚者であり、大日本帝国に裏切られ、旧ソ連に追われる等の悲惨な体験をして来た。また、何度も鬱の経験をし、その度に筆記法によって自力救済を果たしている。
文書量も少なく記述上目立たないながら論理的に重要な本書の前提は、世界が多くの要因によって構成されている事を明瞭に認めている事だ。ここから、自己の意志だけではどうにもならない自分自身の人生と言う概念が当然に導かれる。この認識は、多神なり全ての存在に霊を感じると言う日本人古来の精神世界を肯定することに至る。
本書の全体は、原初仏教及び親鸞仏教によってかなり濃厚に彩られている。しかも、自己客観視による自己制御、それもある理念によって目標志向的に自己を操縦するのではなく、多要因の世界故に流されていく自分を肯定しつつも、内的世界の幸福を保つように制御していく、と言う制御の仕方を記している。
本書はよって、社会的な公正性や、社会成員の全体が基礎的な充足は得られるようにするにはどうした良いのか、社会全体の効率を上げるにはどうするべきか、人類はそれなりに少しづつ進歩しているだろう等等の概念に対して無関心であり、冷淡ですらある。性的プロレタリアートだ、地獄の門だ、経済が絆が国が壊れていく、などなどと言い、それら破滅が天然自然の現象であるかのように記載している。それらの破滅に対して、そもそも国家が自分たちを幸せにしてくれるなどと期待するべくもないと言う対処の仕方のみを記す。
だが、これらの現象は立派に原因があっての結果であると考えるべきだ。
「世界が多要因であると言う事は混乱であることも制御不可能であることも洞察の不可知をも意味しない」
のである。善意に解釈すれば、この老人はここで混乱と躓きに陥っている。悪意に解釈すれば、筆者は高度経済成長の波に乗ってその果実を味わい、いち早く果実が全て落ちた事を察知して諦念を説いて逃げに入っている。薄い報酬によって只管働かざるを得ない人間としては、社会的に極めて大きな影響力のある作家から諦念に至るべしとの説教を聞かされるのはかなりカチンと来る。騙されない読者は本書を受け入れないだろう。
善意に解釈すれば、筆者が本書を出版した理由は今般の恐慌があらゆる人を等しく襲うからだと考えているからかも知れない。だが、そうではない事は1929年の恐慌の歴史が証明済みである。筆者の経験する1945年の満州においても、高級将校等は公共財を簒奪していち早く日本に遁走したではないか。ここに筆者の社会認識のあまりの温さを見て取るべきだろう。
仏教が社会性に欠け勝ちである理由に関して言えば、本書も引用している中村元は、ブッダの教説は自給自足が容易でその辺に寝ころんでいても生きていけるインドの環境においてこそ成立したと述べている。世界の殆どはさまで幸せな環境にはない。どうしても人間同士の財の交換や相互支援がなければ生きていけず、であるからこそ社会制度や社会的公正や労働の価値の尊重や民主主義が重要となるのである。
別の観点からすればこうだ。クルーザーからホテルまで毛氈をひいて上陸する貴婦人をイタリアで見たこと、その貴婦人を港湾の労働者たちは羨望するでもなく賑やかに論評し合っていた事を好意的に筆者は記す。だが、かような奢侈消費は不可能になったと言う事が、そもそも本書には表立って記されていない環境問題の激化と言う事であり、今般の恐慌と言う事な筈である。
とは言え、日本についてはこれから”落ちていく”ばかりになる可能性はかなり高いと思われる。筆者は原因について思考放棄をしているのであるが、まさにその思考放棄こそが第二次世界大戦を含めて一貫して日本の問題の最大の原因であり、今般の恐慌もまた同じになるであろうから。
心理学者の末席として興味深い本書の記述は、筆者が鬱状態に陥る度に日記(歓びノート、悲しみノート、あんがとノート)を記していた事である。Pennebakerの研究等に見られるように、筆記法はストレス状態に対して相当有効な対処技法である。
作家ならではの興味深い記述もある。あらゆる登場人物の心理をあますところなく描くディッケンズ以来の小説の手法は神の目に立つが故に極めて危険なものであると見做されてきた、と言う。
本書は、かような書物であるから、実はそう独自なものではない。「早坂暁 恐ろしい時代の幕開け 岩波ブックレット196号」も同様にこれから人類は長い下り坂を生きていく事になる、としているのだが、実にバブル経済期の1991年に出版されており、早坂の慧眼こそ讃えられるべきだろう。だが、例によって絶版になったようだ。何しろ出版のタイミングが悪すぎた。客観的には得意の絶頂にいる人々はあとは落ちていくしかないのが明らかなのだが、人間の認知機能はそのようには働かない。廣島はいち早くこのような時代を予感したからこそ早坂のこの書を購ったのであった。


Recent Comments