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読了 暴走する国家・恐慌化する世界

仏暦2552年06月15日 月曜日

副島隆彦・佐藤優 暴走する国家・恐慌化する世界―迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠 2008年 日本文芸社

0 アメリカ大統領選に隠された真実:ユダヤロビーを無視して国際情勢は認識できない
 一 奇跡を肯定するキリスト教西欧文明の虚偽
  ○ イエスを神とするキリスト教はトンデモ理論か?
  ○ ミラクル(奇跡)とマジックの違い
 二 ニューヨーク金融財界人に操られるアメリカ大統領
  ○ インテリジェンス能力の源泉
  ○ アメリカ民衆の保守思想―リバータリアニズム
 三 アメリカ政治の二代原理―リバータリアニズムとポピュリズム
  ○ サラ・ペイリンを共和党の副大統領候補に抜擢した本当の理由
  ○ 日本では正しく理解されていないポピュリズムの原義
  ○ リバータリアニズムは「もっとも善良なユダヤ思想」
 四 世界を動かすユダヤロビーの実力
  ○ ユダヤロビーには3つの勢力がある
  ○ アメリカと対等に付き合えない外務省
  ○ 愛国的な外務省員は切り捨てられる
1 アメリカドル覇権の崩壊で「恐慌化」する世界:1929年の「世界大恐慌」を凌ぐアメリカ発の金融危機の正体
 一 世界中で今、アメリカ外しの動きが始まっている
  ○ デリバティブの契約の総額は実に8京円
  ○ 今や「アメリカを処分する案」が出てきつつある
  ○ グルジアの軍事衝突事件では、ロシアとヨーロッパが裏で手を握っている
 二 今回の恐慌には従来の経済学理論は通用しない
  ○ お金の動きと流れだけで富が生まれるという妄想
  ○ シカゴマーカンタイル取引所こそ世界的金融バブルの元凶
 三 アメリカ政府はAIG保険会社をなぜ救出したか
  ○ 日本の自衛隊は年金の運用をAIGに任せている
  ○ アメリカに貢いだ金はもう返ってこない
 四 カジノ経済を握る金融マンのインチキは崩壊した
  ○ 再び「時価会計制度」の放棄を宣言し始めた金融庁
  ○ ”ラチオ(強欲)”が作り出した金融工学の限界
  ○ ライブドアの株分割は一種の国家反逆罪にあたる
  ○ アメリカの資産家たちは既に外国へ逃げ出している
  ○ 金融犯罪の当事者はどこまで逃げ切れるか
 五 これから大打撃を受ける日本の金融機関
  ○ 過酷な浮き世の掟―”20分の1原理”
  ○ モルガン・スタンレーに投資した三菱UFJは相当の苦境にある
  ○ 野村ホールディングスのリーマンへの出費は命取りになる?
  ○ LTCM事件の裏で動いたソロスとロスチャイルド
  ○ 「ロシア金融危機」のとき、ソロスの在ロシア代理人だったサルティコフ元副首相
 六 世界銀行IMF体制は一旦崩壊する
  ○ アメリカのドルは間もなく基軸通貨の権利を剥奪される
  ○ 「修正IMF体制」も2012年くらいまでには崩壊する
  ○ BRICs諸国と独仏が納得すれば新しい通貨体制ができる
  ○ 100〜120年間のスパンで動く”世界覇権サイクル”
2 秘密結社の実像:西欧を動かす民族思想と宗教―キリスト教に反旗を翻した集団の思想的系譜
 一 陰謀の分析なしに国際情勢は読めない
  ○ 陰謀理論の系譜をきちんと学ぶことが必要
  ○ 現代史の中心はヨーロッパ(イギリス)とアメリカ合衆国の戦い
  ○ 陰謀論ではなく、共謀理論(共謀共同正犯理論)と呼ぶべき
  ○ ユダヤ教の本質は、ラチオ(ratio、合理)とリーズン(reason 理性)にある
 二 神学者アダム・ヴァイスハウプトの思想
  ○ 「ラチオ」を根本とした秘密結社・イルミナティ
  ○ 「強欲・拝金」の思想と「愛と恩寵」の思想
 三 ロシアで今、影響を与えている二人の思想家
  ○ なぜ神学とマルクス経済学を研究したか
  ○ 「世の中の変動にはパッションがある」とするグミリョーフの思想
  ○ 「死せる父祖の物理的な復活こそキリスト教」としたフョードロフの哲学
 四 キリスト教会(カトリック僧侶階級)に反抗する宗教思想
  ○ ドストエフスキーが描いた”強欲”と”愛”の闘い
  ○ フリーメーソン=イルミナティはキリスト教の平信徒のような存在
  ○ ルシファーとヤーヴェ「光の神」と「闇の神」
 五 ロシア人に嫌われるイエズス会の実像
  ○ 「偽善者、策略家」と言う語義があるイエズス会
  ○ 「神はいるのか」を問いかけた遠藤周作の「沈黙」
 六 神との契約から摂理重視になった近代キリスト教
  ○ カトリック信者と「二重忠誠」の問題
  ○ この世には悪魔しかいないという「汎悪魔主義」の横行
 七 神学(セオロジー)と神聖政治(テオクラシー)
  ○ 近代になって変化した「悪魔」のとらえ方
  ○ ペテロの上に立つカトリック、ヨハネの上になりたつロシア正教
3 ロシアの野望と裏で操る二大勢力―実力者プーチンとユダヤ・ロビー、アルメニア・ロビーの暗躍
 一 ロシアは2020年までに帝国主義大国を目指す
  ○ プーチン、メドベージェフ「二重王朝」は「ユーラシア主義」に立っている
  ○ プーチン前政権はユダヤ寡占資本化(オリガルヒ)を全面的に放逐してはいない
  ○ オリガルヒの政治的影響力は依然として残っている
 二 備蓄しているものをお互いに融通しあうロシア社会の伝統
  ○ ロシア人には、パン、ジャガイモ、ウォトカ、タバコがあればよい
  ○ インテリと老人層を大事にするプーチン政権の政策
  ○ 中央銀行が民間銀行である理由
  ○ 実物・実態のある資産と産業作りに邁進したプーチン
 三 ロシアを動かす二つの目に見えない同盟
  ○ ロシアは金融危機になると「金本位制」に戻す可能性がある
  ○ ロシアの同盟を考えるとき三角形と四角形の同盟がある
 四 ユダヤ人とは何者か? アシュケナジーとスファラディー
  ○ 自分の首を吊るために使われるロープまで売るユダヤ商人
  ○ ユダヤ民族には希望はなく、待望しかない
  ○ ユダヤ人とは何者か? ローマ軍に従う故買商人説
  ○ 第13番目のユダヤ族―カザール(カザラ)の正体
4 グルジアで発火したロシアとアメリカの「熱き戦争」―第3次世界大戦への発火点となるか?グルジア軍事衝突の実像
 一 グルジア紛争は第3次世界大戦の発火点になるか
  ○ ロシア正教徒のオセチア人はロシアの”第5列”的存在
  ○ スターリンはオセチアから帰化したグルジア人?
  ○ サアカシュビリ政権は国民に人気零の腐敗政権
 二 グルジア経由、カスピ海・黒海の原油を巡る争奪戦
  ○ フランス政府はなぜグルジア紛争を仲介したのか
  ○ グルジア政府の中にはネオコン派が潜在している
  ○ グルジアの軍事衝突でアメリカにしっぺ返しをしたロシア
 三 やがて中国はロシアと組み、アメリカと衝突する
  ○ 燃料資源が足りない中国はやがてロシアと組む
  ○ グルジアの軍事衝突ではイスラエルの動きが稚拙だった
  ○ グルジアを理解する鍵―特異な文法「能格絶対格構造」
  ○ 凄惨な民族紛争で漁夫の利を得る国
 四 ロシアとアメリカは「熱い戦争」を繰り広げる
  ○ グルジア紛争で冷戦にはならないが、熱い戦争の時代に入る
  ○ 見逃されているアルメニア・ロビーの動き
  ○ グルジアは世界のゴミ箱のようになっている
 五 「熱い戦い」になると中東で核兵器が使われる
  ○ アフガニスタン、パキスタン問題をどう見るか
  ○ パキスタンのカーン博士による核の密売の動き
  ○ 中東諸国で核製造の連鎖現象が起こる
  ○ 連鎖する核発射で第3次世界大戦が起こる可能性
5 劣化し暴走を始めた日本の行方―アメリカと官僚に乗っ取られた日本国は「新統制経済国家(ネオ・コーポラティズム)」へと転落する
 一 属国・日本の外交にインテリジェンスはない
  ○ 情報活動のポイントはキー・パーソンを探すこと
  ○ アメリカと対等になれない”属国・日本”の外交官たち
  ○ 今後、北方領土問題は部分的に動く可能性がある
  ○ 北方領土問題はロシア人の所有感覚がポイントになる
 二 日本の政治を堕落させた官僚制度の弊害
  ○ 小沢政権の誕生で日本が部分的に自立するのは一貫した流れ
  ○ 国家公務員制度によって去勢状態にされた日本の官僚
  ○ 今の自公連立政権は議院内閣制どころか「官僚内閣制」
  ○ 日本はサハリンの天然ガス問題や捕鯨問題をアイヌの先住民族の権利で要求せよ
 三 日米同盟にロシアを加える「地政学主義」こそ正しい日本の選択
  ○ 国際政治から見た日本の3つの選択―「親米主義」「アジア主義」「地政学主義」
  ○ 日米同盟にロシアを加え、中国とのバランスを取る「地政学主義」
  ○ 田中眞紀子外相の登場によって敗れた「地政学」的な第3の選択
  ○ 日本はいまだに核の最重点査察国の対象になっている
 四 このままでは、政権交代で日本は何も変わらない
  ○ 国家に依存しないような思想を国民がそれぞれ抱くこと
  ○ 政治の本質は「巨大な悪」ということを認識せよ
 五 全世界の国家が今、暴走を始めている
  ○ 世界恐慌に突入する前に、資本家は丸裸にされる
  ○ 日本の新統制経済国家への道が早まっている

 本書を様々な知識の体系の中に位置づけるならば、

「何故、欧米上流階級たちはかように欲望するのか?の論理体系」

を対談によって扱った本だ、と言う事になる。本書ではキリスト教やユダヤ教の教義の根本に遡っての議論が展開されている。それらの議論は目映い程だ。それら欲望と世界観の先に、次の世界の姿が予見できるのである。


 だが、それらの理論は何れも”欲望する事を許容する方便”の哲学に過ぎず、根本にある動機づけの体系は本書からは見えない。金銭や権力に関する心理学は、金銭や権力に固執する人々の根本に不安や人格の歪みを指摘し続けている。それは、共同体的な存在―欧州においてはカソリック―から否定されたまたは自ら否定した人々がしばしば陥る恒常的なストレス状態だと言えるだろう。代償満足により権力と金銭は欲望されていると言っても良い。本書においても”「強欲・拝金」の思想と「愛と恩寵」の思想”の節にラチオは保険から生まれたと記されているが、不安を”補填可能”と言う信念で摩り替えている訳であり、ラチオの根底に不安があることを示している。


 なお、これら哲学の論理を追っている部分で、かような哲学において新しい事物を生成する論理として光と影の対峙について論じている部分(※ルシファーとヤーヴェ、「光の神」と「闇の神」)がある。ここで佐藤がレーニンにも闇と光の思想が影響を与えていると指摘している部分があるが、これは中沢新一の理論である。神学や哲学と言う、思弁の世界においての要素なり存在を生み出す営為が極めて重要であるとしている点が、本書の対談者たちのユダヤ人や欧州人の思考・行動様式に対する深い洞察を示している。


 本書では、何故アメリカのこの金融システムが崩壊したのかについて明白な結論が出来ていないでいる。副島が、今般の恐慌は従来経済学理論から逸脱しているので、言わば予測・預言するしかないと獅子吼するに至るのはそのためである。理性と強欲への批判思想として世界3大宗教を記してはいるのだが。だが、数理的には破綻の理由は極めて簡単に表現できる。

「構成要素間の相互独立性を前提としているシステムが、相互独立性が近似的にも成立しないモードに入ったから」

である。これはリスク・マネジメントのあらゆる領域に登場する普遍現象と言うべきであり、工学者や経済学者は”様々な要素間の独立性”を前提としてモデルを構築し、独立性が成立しない世界にうかうかと突入するのである。

 ラチオのシステムである資本主義システムも当然同様のある種の”無責任さ”に依拠して理論が構築され、その理論どおりにユダヤ人や欧州人たちは世界システムを構築した。”無責任”と表現した理由であるが、構成要素間の独立性があると言う事はある経済主体であるワタシが勝手な儲けの振る舞いに及んでもそれによって市場の行動は変化しない、と言う事を意味するからである。だが、人間は他人の行動を見て行動を変化させるし、ある一貫した意図を持って行動するのであるから、実は要素間の連関性は非常に高い。結果として現れるのは、マーフィーの法則だと言っても良い。

 となると、彼らの理性なるものは普遍性が不足していたと言う事になる。またしても最終的な議論は仏陀の勝利に終わるのだろう。仏陀は、物質現象は因果関係によって成立している、と喝破した。アメリカ流金融システムが依拠していた要素間の独立性の前提を否定する。キリスト教には要素間の独立性を前提とする”甘え”があるのだろうか?彼らは緻密に構成されている筈の神の裏をかこうとしたのだろうか? 神が許した範囲ならば何をやっても許されると言う思考停止があったのだろうか? 次の知的挑戦の領域のように思われる。


 とは言え、ここまでの議論は要すれば理性を信じる人々を更に上回る理性を廣島が代表してここに示して見せたと言うだけの事であり、理性の否定ではない。本書で明らかにされている理性なりラチオと言うものは、単なる行動の一貫性と言うのに過ぎない水準のものだ。より普遍的な法則性を見いだすことが出来る、と考えるのも理性の力であろう。

 実際、欧米や中国等の文化の根底にある”純粋さへの信仰”は幾分軽薄なものである。隣国の韓国を含めて文明に良く浴した国々は、対称性・完全な設計に基づく創作・傷のない芸術品・ぴかぴかの商品・完全に権力が透徹した国家などなどを尊重する。音楽ならば完全な和音やブラスバンドだ。美人は均整が取れて、肌にはシミがあってはいけない。庭園は真っすぐ伸びた樹木や明瞭な色合いの花が明白な直線や定義正しい曲線に沿って配列されなければならない。等々。そこには、理性が生み出すモデルなり一貫性に完全に合致する現象こそが美しく正しく力強いとする信念がある。

 筆者たちは明言していないが、かくして、”完全に権力が浸透した国家”を希求するが故にネオコーポラティズムもまた希求されることとなるのであろう。本書はタイトルと内容が極めて首尾一貫した描写をしていると評価出来る。

 以上のような論の流れの中にあって、本書がその内在する哲学、思想、理念、宗教…を記述していない国と言えば、第1に中国である。流石に中国の論理の記述において対談者たちは十分とは言えない。だが、それは単に許されたページ数の故であろう。この国も同様に理性とそれによる思想、哲学、宗教…に自己と世界を適合させようとする行動様式を持っている人々であるのは間違いない。その概念の中核には、中華思想が存在している。華夷秩序は、”正しい中華文明”を守り、それによって世界を”正しく指導し支配”するための当然の秩序だ、と狂信されることになる。中華を具現していると盲信している彼の支配者たちにとって、”前衛の党たる中国共産党”と言う概念は誠に肌に馴染むものだったのだろう。時代は移り今度は”偉大なる中華”を経済と軍事によって実現する、と言う点で自分たちは存在価値がある、と彼らは妄想していることだろう。少なくとも対談者たちは、普通の大国の常として中国が覇権を目指すのを当然の前提として議論をしている。

 欠落している第2の国は、外ならぬ我が日本である。本書は、第5章において日本社会が劣化し暴走を始めたとしている。そこにおいて官僚制やアメリカに対する従属主義が批判されている。だが、本書が示唆するより根本的な問題は、理性が大方の日本人にとって実は未だに十分には意識されていない知的機能である点に求められるように見える。理性によって作られた哲学や神学の現実社会への妥当性や理性の水準を争っている諸外国とは、根本的に世界が違っている。本書の対談者たちは日本の理念、哲学、宗教…を情報や紙幅の不足から提示していないのではない、と廣島は考える。そもそも日本人にはかような思考様式が”ない”のである。

 意識性の観点から論ずれはこうだ。

「何らかの思想や哲学、法則性を明瞭に意識」

し、

「それらに徹底的に従うように行動すること・行動しているかどうかを意識すること」

が欧米の行動原理、と言うよりも日本人その他少数派以外の文明を築いた世界各民族の標準的思考・行動である。

 例えば釈尊と言えども基本的にはここから外れていないのであり、仏教用語では理性が生成するこれら思想、哲学、法則性、法律…がダルマとかダンマと称されている。釈尊はその法則等の堅固性や永遠性を前提としておらず、釈尊が説くことは実に僅かなものにしか過ぎない。

「世界は苦に満ちている。全ての現象は因果関係によって成立する。よって、因果関係を正しく認識し、苦が起こる原因を適切に認識すべきである。それは、執着に基づく欲望によって生ずるのである。よって、執着を捨て去り、欲望を離れ、激流を渡り、彼岸に至ることが幸福の道である。」

これだけなのだ。これらの定理以外は全て変化し、流転するに過ぎないものと見做されている。だからこそ、今際の際において釈尊は、

「物質現象は移ろい行くものである。怠ることなく修行に励みなさい。」

と言い残したのである。これは非常に柔軟性のある論理体系であるが故に、強欲の論理よりも遙かに高い適合性と予測性を示し続けるのである。

 対して典型的な日本人は、

「自分を律している行動原理を意識しない」

し、

「自分をある行動原理で律しよう」

とも意識しない、努力しない、行動しない。例えば、先般廣島は厚生労働省元次官たちを襲撃した小泉某君の行動が非常に一貫した論理的なものであると評したのであるが、一見如何に奇矯に見えても、その内部に論理性や判断が存在しているかどうかを論じていたのである。その意味で、小泉某君は、日本人と言うよりも欧米人に近いかも知れない。

 とは言え、対談者たちは日本人であるのだから、では理性に基づく哲学、宗教、理念…に代わってこの国を動かしている原理が何であるのかについて記述は怠りない。それは集団としては官僚であり、その官僚を動かす基本的な動機は要すれば、

「自分は困難な試験に次々とクリアした優れた知能を持つ人間であり、それ故に社会を制御する権利がある」

と言うものだ、としている。これは、共有され得る理念、哲学、宗教…に依拠する体系とは異なっている。

 このような洞察からすると、本書が”国家に依存しない思想を国民それぞれが抱くこと”を今後の生き方として示唆するのは、日本人にとって余りにも余りにも激しくハードルが高い。そもそも思想を持ち、それに従って生きると言うシステムが内的に構築されていない人々が多いのだから。

 日本の生き方として本書は日米同盟にロシアを加えて中国に対抗的にバランスを取る地政学主義を提唱しているが、急激に世界が変化している2009年前半、既に中国はアメリカの急所を握り、事実上米中同盟が成立したように思われる。そもそも本書においてもクリントン等の勢力とその背後にいるジェイ・ロックフェラーが中国に極めて近しい事が指摘されている。この点においては、2008年末に刊行された本書は既に古書になりつつある。だが、理性の機能とそれによる欲望許容の心理機構に関する議論の有益性は些かも損なわれていない。

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