読了 もう服従しない
仏暦2552年06月05日 金曜日
Ayaan Hirsi Ali,2006,Infidel
邦訳:アヤーン・ヒルシ・アリ、もう服従しない、エクスナレッジ(東京)
自伝。筆者は、1969年にソマリアで生まれ、ソマリア・サウジアラビア・ケニアで育った女性。これは、ソマリアとケニアが国家として破綻して行ったためである。伝統に従って父親が決定した結婚を嫌って出奔、ドイツを経由してオランダで難民として受け入れられた後に国籍を取得、出身部族の絆とイスラムを捨てる。オランダの下院議員になったが、激しいイスラム批判により命を狙われかつ大きな議論をオランダに巻き起こしたため、更にアメリカに移住、研究を続けている。
筆者の経歴は目も眩むようなものであり、筆者は幾つもの地域と社会集団と生産様式と理念の間で引き裂かれ、それらの殆どが満足すべき人生を齎す事に失敗し続けていく。それらの規範等はざっと以下のようなものである。
○ 砂漠の遊牧民の名家の子女としての生活及び規範
○ ソマリ族のイスラム的と信じられている風習
○ 亡命先のエチオピアの風習や生活
○ 亡命先のケニア族の風習またはケニアと言う国家
○ サウジアラビアに代表される正統派イスラムとしての生活及び規範
○ イスラム原理主義運動
○ モガディシオ等アフリカの都市部での生活及び規範
○ 欧州的な生活と規範
○ 世界を欧州的な理念で温和に発展させようとする国連諸機関
○ シアド・バーレによる共産主義国家としてのソマリア
○ 筆者の父親が当初目指したアメリカ民主主義型のソマリア
○ 母親が目指した自由で夫が家庭を第1に考えてくれる結婚の理想。それが概ね核家族の規範ともなっている。
○ 戦場と難民としての生活
これだけ様々な規範と生活様式の間を筆者は渡り歩かざるを得なかった。アノミー状態である。それぞれの理念なり思想なり宗教なりは相互に矛盾しており、それらに従わせようと様々な人々が彼女に情け容赦なく迫ってくるのだ。筆者はイスラム教家庭教師に殴り殺されかけたことすらある。また、彼女は父親や夫から殴打されることを非常に恐れていたようである。これは、男女の肉体的強靭さにさして差がない日本人からは理解し難い部分であろう。それでいて戦争や国家崩壊になれば”現実”が残忍に筆者に迫り、彼女を”かくあるべし”と矯正し続けた人々や宗教等は有効性を失ってしまう。もし彼女がもう少々長くソマリアやケニアに留まっていたらば、今度は砂漠化と言う現実が食いついてきて、様々な規範・習慣・信条・思想・宗教等を長物にするのを目にしたことだろう。
このような世界で正気でいる方がどうかしているのではないのか。ましてや筆者自身の気質は”従来のやり方とは異なる様式を自ら選んで生きること”を強く志向するものであり、彼女に迫ってくる何れかのスタイルを選択する事を拒否してしまう。
実際、筆者を含めて家族や近親者たちの少なからざるは好ましくない心理状態に陥り、自分自身を統制出来なくなっている。少なくない女性は、部族乃至イスラムの掟による結婚でかなり不幸な状態にあるものとして描かれている。
筆者の母親は若いときに自由な結婚を求めてジブチやサウジアラビア等を一人で移動し、父親が決めた結婚相手と子供を設けながらも離婚し、筆者の父親と自由恋愛によって結婚したのだが、その結婚生活は夫の政治運動への傾倒と夫の他の妻への傾倒により極めて冷たいものとなった。彼女は人生の目的を失って精神状態に破綻を来し、自分の子供をしばしば虐待し常に悪口を浴びせている。多くの国の幾多の母親がそうするような、どんな場合でもどんなに変わり果てても我が子を保護し生き長らえさせようとする価値観に移行することに失敗している。
筆者の妹のハウェヤは精神疾患を患い、文字どおり狂死した。家事の能力が低いままに成長しているが、部族中心の大規模混在家族の習慣では、必ずしも家事能力が高い必要がなかったのも一つの理由のようだ。国連機関で農業支援に従事した事もあるが、そもそも農業をした事がないし、土に微笑んでいれば勝手に植物が繁茂してくれると信じていたようだ。ただでさえソマリ族は基本的に砂漠の遊牧民族であり、しかも筆者とその一族はソマリ族の中で”支配階級”に属するらしいから、この一族は農業技術どころか園芸技術さえ持ち合わせていないのだ。
筆者自身も一度、部族とイスラムの規範に反した結婚を自ら行って即座に破綻している。この経験があってもなお特定の規範に身を寄せようとはしないのが彼女の資質であると同時に、彼女を引き裂き続けた様々な”がらくたの理想たち”の効果だったようだ。
他方、筆者の母親の子供たちのもう一人である長兄マハドはアフリカの都市部を転々としながらさしたる事を成し遂げるでもなく、次の世代の家長としての義務を果たすでもなく、だが精神に破綻を来さずに暮らし続けている。砕かれたがらくたの観念たちがせめぎ合う世界で、そのゆらぎに身を任せている人として描かれている。
このような状況の中で、公平に見て最も彼女を支援し保護し続けたのは部族(支族たるオスマン・マハムド及びさらにその上位の族であるダロッド)一同の相互支援のネットワークである。それは筆者が欧州に渡った後にすら及んでいる。
次に筆者を支援し続けたのは、近代市民国家のシステムであり、オランダとドイツに代表される。これらの国家は、筆者が難民として認定されるや日本の状況からしても驚くほど手厚い保護と支援を筆者に与えている。
筆者はイスラムを最も自分にとって敵対的なものであると見做している。それは地域毎の宗旨や風俗に変化はあるものの、筆者が生まれ育った地域の全てに行き渡っており、かつ”対峙的”に把握できる一貫性のある体系を持っているからである。加えて、筆者が接触したイスラムは何れも主体的な解釈はおろか、自発的な理解すら許さない硬直したものであったからだ。さもなければ、旧ユーゴスラビアの”ムスリム”たちのように、単にキリスト教徒ではないと言う程度の薄弱な存在である。主体的な理解をしている人々は誰もいなかった。
筆者のイスラムの理解においては特に、アラブの石油成金たちに支援された原理主義運動であるイスラム同胞団に対する反発が強い。イスラム同胞団は、伝統的なイスラムからすらも異質なものとして描かれている。そして、イスラム同胞団は死後の世界が完全に実在するものとしているが故に強力なテロリズムを生み出す存在であるとして描かれており、所謂”911を起こしたテロリストたち”が死を厭わないのは当然であるとしている。
だが実は筆者は部族の一員としての立場・アイデンティティ・習俗をイスラムと同様に最終的に拒否している。然るに、彼女自身は”部族主義””大家族主義”と言うべき概念を持っていないようで、それゆえに対峙的に批判出来ていないだけだと言えるだろう。もし筆者が民族学・民俗学・社会学・心理学をオランダの大学で学んだらば、自分にとって桎梏となっている”存在”をもっと違った形で把握したかも知れない。これにより本書の筆致は専らイスラムを包括的かつ感情的に非難する調子になっているのは訳者が後書きで記すとおりであるし、原著タイトルも”infidel”と宗教との関係に限定したものとなってしまっている。
この記事を書いている2009年現在、筆者の出身であるソマリ族による大規模な海賊行為が国際問題となっている。海賊は各部族の民兵が転じたものとの報道もある。率直に言って、本書から見てもソマリ族そのものに問題となる要因があると言わざるを得ない。筆者もかような弊を免れない。ソマリ族が大挙して海賊に転職したのは驚くべきことであると同時に、本書を読めば如何にも納得できる。即ち、本書はこの点でも宗教問題を扱ったものと読まれるべきではない。
本書から読み取れるソマリ族の社会構造なり意識なりの他の問題は、差別である。既に、筆者の出身の部族が支配階級であることを記した。当然、被差別部族が存在する。ソマリア内戦が激しくなり、筆者たちがソマリアに残っている親族をケニアへ勇躍陸路引き連れて来ようとする場面で、ソマリア南部の被差別部族の記述が出てくる。遊牧部族のソマリ族の中で彼らだけが農耕に従事して他のソマリ族に対して食料を供給しているとの事である。しかも、他の部族が今や内戦に陥り難民化しているのであるから、この被差別部族は相対的に非常に優位に立っている筈である。だが、他の部族が通るとうやうやしく道を開け、その卑屈さに対して筆者は嫌悪を記している。差別問題を学んだ者ならば誰もが知っているように、これは暴力の故なのだ。生産様式がまるで異なる人々が何故”同じソマリ族”と言う事になっているのか?遊牧民たちが武力を用いてこの人々を支配し、”同じ部族であるがお前たちは下だ”と強制したから、彼らは卑屈なのである。全く異なる部族であると言う事になったらば、彼らは食料の見返りにより多くのものを要求しただろう。差別とは、
「名目上同じ集団である事を強制する事で、支配と搾取を行うこと」
である。
かくしてソマリ族たちの未来は極めて簡単に見通せる。彼らが暴力傾向を捨て、地道な生産活動に親しまない限り、彼らの未来は開けないだろう。
繰り返せば、本書にはありとあらゆる種類の”失敗した理念・宗教・制度等の断片”が登場する。アメリカに渡った筆者は今度は、キリスト教原理主義と果てしない強欲たる現代資本主義に遭遇し、それらをも失敗の理念として見ているかも知れない。現代日本も筆者の苦悩と無縁ではない。明らかに、今や有効性、即ち人を幸せにし社会を永続的に繁栄させるに資さない断片的な規律・習慣・規範などなどが欲望となって相互に矛盾し、激突し合っている。本書から読み取るべき教訓と言うのは、
「理念なり習慣なり宗教なりも所詮は変化して行く現実の世界に合わせて少しづつ変化させざるを得ない」
「様々な理念なり習慣なり宗教なりも所詮は人生の一部分しか支えることが出来ない」
と言う事のように思われる。
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