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一つ覚え

仏暦2552年05月31日 日曜日

 どうも北朝鮮付近がきな臭くなり、アメリカ合衆国が再び戦争を起こして景気回復を図ろうとしている、と言う予測をする識者もおられる昨今。

 ところが、一寸考えてみればわかるのですが、

「戦争による景気上昇と言うのは、国内に生産能力がそれなりにある場合にだけ成り立つもの」

なんですね。政府による借金での出費を国民が喜んで了承し、その出費によって様々な兵器の生産量と関連するモノの生産量が増大し、それによって雇用が増大し、それによって雇用された人たちの消費が増大し…の循環が何回も回る事で景気が良くなる。その効果の大きさを見積もる乗数なんてのも計算されているのです。

 ところが、アメリカ合衆国と言うのは今やあらゆる工業製品の製造を止めてしまっています。彼らは、働くことを止めてしまっています。残っているのはそれこそ兵器の生産程度。これではアメリカ合衆国の景気が良くなるはずもありません。

 しかも、そのアメリカの$そのものが余りにも過剰になってしまい、これ以上の$の印刷はほぼ確実に$の暴落を招くだろう…と言うのは別に廣島が言っていることではなく、流石に昨今はかなりの人たちがその懸念を口にするようになりました。

 第二次世界大戦に突入することで、1929年の恐慌を脱したアメリカ。「馬鹿の一つ覚え」とでも言いましょうか。

「愚かな人間は、少々上手く行ったことが今度は適切ではなくても、繰り返してやろうとするものである」

と言うことわざの類です。

          †

 廣島が巣くう昭島市西部。ここにある拝島駅の東側は広大なヤードになっており、その中に「日本一長い踏切」があります、今日まで。(^_^;) これが今日をもって廃止されるのです。これが地元ではかなり強い反発を引き起こしています。

 事情を説明する必要があります。東西に伸びるこのヤードによって昭島市西部は南北に分断されているのですが、昨今ヤードの南側、拝島駅より東に数百m行ったあたりには超大型スーパーに大型食品スーパー等々が次々と建ち並び、ヤードの北側に拡大しつつあるマンション群の住人は南側に行かないと生活が成り立たなくなっています。

 ところが、南側に行くにはこの踏切が大動脈。ただし、狭い踏切なので、クルマは通れません。一日1200台の自転車他大勢の歩行者の通行があるそうな。この踏切を通らないならば、東に200m程行ったところにあるガードを通らなければなりませんが、このガードの道路は歩道もなくて実に狭いくせにクルマの交通量がかなり多く、歩行者や自転車には危険窮まりないものです。部分的に徳洲会病院が開設の際に敷地を割って歩道橋を提供してくれましたが、焼け石に水。クルマにとっても2車線もロクに取れない程の幅しかなく、難渋するところです。

 さて、この踏切から数百m西に行った拝島駅の改良工事が進められ、南北自由通路が設定され、自転車が乗せられる大型のエレベータも設置されたから、踏切を閉鎖する…と言うのが市役所の方針な訳です。何しろこの踏切では過去3回も死亡事故が起きている!のですから。

 だが、廣島もこの説明に騙されてしまいました。その死亡事故の内2件は実に1960年代初頭に起きているのです。

 この時代の踏切がどのようなものだったのか、良く覚えていますよ。今のように電車が来ると自動的に警報が鳴って遮断機が降りると言うような踏切はありませんでした。殆どの踏切はこれと言う設備はなし。自動的に警報音が鳴る踏切は上等の部類で、ごく一部の往来の激しい踏切だけが常駐の係員がタイミングを見計らいながら遮断機を手動で上下するようになっていました。

 これだけでも十分危険なのですが、それだけではありませんでした。鉄路を走るのは電車よりも蒸気機関車やディーゼル車の方がずっと多く、それらの走行速度はそれぞれ違っており、歩行者はぎりぎりの場合どのタイミングで横断すれば良いのか判断に苦しんだに違いありません。勿論、蒸気機関車やディーゼル機関車の前方視認性は電車よりもずっと悪いものでした。つまり、当時は今よりも歩行者や自転車の踏切横断1回あたりの事故の発生確率はずっと高かった筈なのです。

 この踏切で最後に起きた死亡事故は1974年だったそうな。この時の踏切設備がどのようなものだったのか、は分かりません。…と言うようなことが分かったのは、5月上旬、踏切を閉鎖すると言う市役所からの通知のビラの中ででした。

 さて、説明が長くなってしまいました。このヤードの南北歩行者交通経路の大幅変更は、

「危険の転換」

になる可能性大です。「踏切での事故の危険性」がなくなる代わりに、「ガード下での交通事故の危険性」が非常に大きくなるでしょう。何しろ、今に至っても、ガード付近の道路を拡張する工事は何も行われていないのです。

 死亡事故が起きても不思議ではなく、死亡リスクはどちらが大きいのか、些か微妙なように思われます。少なくとも、”日々の労力の損失”と言うリスクについては明らかです。

          †

 ところで、どうしてこんなやり方が行われたのでしょうか?

 まぁ、ここからは憶測なのですが、こうです。拝島駅南口には例によって商店街があるのですが、狭い道路に殆ど誰も振り向かない古びた商店がだらだらと並んでいるだけです。廣島自身も良くお世話になる店と言えば、2、3軒しかありません。単純に南北の交通を改善したらば、大方の人は超大型スーパーや大型食品スーパー等の新興商業施設に流れ込み、この商店街は最後の一撃で消滅するでしょう。ヤード北側の住民をお客として誘導しようと言う事でこうしたのだ…、と言われても仕方がないように見えます。

 良いモノやサービスを提供しなければどんな組織でも店でも流行るようにはなりません。人口重心から言えば日本の外れとしか表現しようのない旭川市にある旭山動物公園がこの努力を行ってきた代表的な組織です。かつては、このような努力はたった1度の人生ならばやってみようじゃないかと言う人々が結構成し遂げたものです。だが、今や日本では熱心に働く人は随分少なくなりました。

 自ら生きようとする存在でなければ本当に自分の人生を生き、人様の役に立つことも出来ますまい。言わば社会的にとっくに死んだ組織とか人とかが、誰かの利益にとって都合が良いものだからだらだらと生き長らえさせられている…それがここ何十年も日本が繰り返し繰り返し繰り返しやって来た事だったのでしょう。

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