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2009年5月

日本に”上流階級”はいない

仏暦2552年05月30日 土曜日

 ある、見識あるブログを拝見していてふと気がついた事。それは

「日本には上流階級はいない」

と言う事でした。

 成る程、ジニ係数は只管増大を続け、収入格差は拡大する一方です。これに不動産資産の有無を加えると、格差は絶望的なものと言っても良いでしょう。だが、その金満家たちは一体何をやっているのか?

 これは、歴史と他国の有り様と比較してみれば良いのです。そこで”上流階級”と目されている人々が何をやっていて、何をやって来たのかを見れば良いのです。

 例えば、フランス革命で首をちょん切られたルイ16世とマリーアントワネット。彼らは、宮廷文化をそれなりに築いてきました。今日、フランスは宮廷が生み出したフランス料理やら煌びやかなファッション、美術品で大いに稼いでいます。

 例えば古代人の社会。そこでは上流階級と言うのは神官や神聖な王であり、彼らは労働の代わりに神の力を操作すると信じられていた神事を行っていました。でも、酷い凶作等が起こると、彼らは神への捧げ物として人身御供になる運命でした。”上等なもの”こそが神を喜ばせ、神の怒りを鎮めるからですね。(^_^;)

 例えばイギリスの貴族たちのnobless oblige。いざ戦争となると、彼らは身を呈して戦わなければなりませんでした。

 さて、日本の富裕層や権力層は一体何をやっているんでしょうか? 何もやっていないじゃありませんか。

 例えばこのブログを今現在飾っている「ココロ」の絵。この手のマンガ・アニメは今や日本の文化として世界に盛んに輸出されていますが、それを作ってきたのは自らの命を文字どおり削ってこれらの絵と物語を作り出してきた若者たちでした。今朝の朝日新聞が伝えるところでは、このようなアニメーターたちの年収は110万円とか。金持ちたちがそれら若者のパトロンになった、めぼしい作品を高価に買い上げた、なんて話はどこにもありません。

 つまり、日本には

「文化や新しいモノを生み出すための余裕ある層」

たる”上流階級”が存在しないのです。彼らは、ひたすら他の日本人の生産力に寄生し、大きな趣味の悪い家をこさえたり、金をため込んでゴルフをしたり、と言う程度の事しかしていないのです。

 そう言えば、第一次世界大戦以降、戦争は兵器と兵士が行うものとなりました。貴族がやっていた騎馬兵団は有効性を失い、完全に消滅しました。それでもイギリスではまだ貴族たちがその富と権威にしがみついています。だからイギリスは没落する一方です。かなり速やかに、日本もそうなりそうです。

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真冬の繁殖

仏暦2552年05月23日 土曜日

 先だって冬、闇雲に寒い朝7時、廣島はいつものように勤務先に向かう乗換駅のプラットフォームに立っておりました。

 と、上の方から鳩のクーイングが聞こえます。見ると、プラットフォームの屋根の梁に留まった二羽のドバトあり。内一羽が羽を広げてばたつかせ頻りにクーイングをしているのです。しかも、口移しに何かをもう一羽に与えようとしたり、頻りに体を擦り寄せています。何たる事でありましょうか。まだ1月の中旬に、この雄鳩は求愛行動をしているのであります。

 雌の方は当然”その気”は全然なくて、体を捩って雄をかわしています。と、雄の口から何かが毀れました。求愛のために雌に贈呈するべく砂嚢に貯め込んでいた餌です。拾ってみると、乾燥した玉蜀黍の粒でした。一体どこで上手い具合にぶち当たったものか、合計7粒程も彼は玉蜀黍の粒を零したのです。真冬のこの時期、驚くべき”資産家”と言うべきでしょう。だが、資産の披瀝にも関わらず、雌はやがて飛び去りました。

 その翌日も同じ雄とおぼしき鳩が、今度は同じ場所で2羽並んでいる鳩にやはり同様に求愛行動をしているのを見掛けました。何たるタフネス! 勿論、この日もあっさり振られました。流石に翌日以降は彼の求愛行動を見ることはなかったのです。

 鳩の繁殖時期からすると、どう見てもこの求愛行動は2カ月以上は早すぎたと言うべきです。鳩仲間で彼は”変わりダネ”でした。もし彼の過激な行動に応じる雌がいたとしても、この寒さでは卵は育つことはなかったでしょう。

 だが、それはあくまで”条件が同じ”ならの話。あれだけの玉蜀黍を惜しみなく求愛行動に注げると言う事は、彼は人間から餌や温かい居場所をくすねる術に長けていたのかも知れません。これに加えてもし彼の行動パターンをその子供が模倣する遺伝子の影響が強いならば、彼と彼の一族は人間が零してしまった餌や場所を徹底的に利用する一族としてむしろ繁茂したかも知れません。何しろ、寒い時期は他の鳩は繁殖していないので、競争がありませんから。

          †

 競合を避ける、と言うのは明らかに生物にとって基本的な戦略の一つです。

 例えば野性のスミレは林の中等に生えていますが、他の草木が葉を茂らせて日影を作る前にさっさと花を開き、繁殖を終えてしまいます。

 ソメイヨシノは単為生殖しかしませんが、圧倒的に早くに花をつける。もし交配する種だったらば、まだ数は少ないかも知れないが花粉を媒介する昆虫を独占出来たでしょう。少なくとも、日本人はその早々に花をつける性質を喜んで自らソメイヨシノの繁栄を手助けしています。他方、バラ科植物の中で早々に花をつけて花粉の媒介者を独占しているのは梅や木瓜と言うあたりになります。

 人間だって、”早々に子供を作る”戦略と”じっくり自分の成熟を待ってから生殖を行う”戦略ははっきり分かれていて、10代後半から20代に入るか入らないかで子供を作り始める一族がいます。そのような人たちは、自分たちの子供がまだ若くて能力が低い内に繁殖を始めると、孫の面倒を良く見ると言う行動を取ります。

 とは言え人間の場合、幾ら待っていても繁殖を行うのに十分な蓄積を社会的に与えないで資源を剥奪され続ける人々が非常にしばしば”作り出されて”います。まぁ、廣島もほとんどその線ぎりぎりに落とし込まれているのですが。同僚でも結婚していない人、同じように結婚と出産が遅かった人がわんさかいます。昨今では派遣労働者のかなりの数はこの境遇になっていますし、そうでなくても本当に働いている人たちは随分前から次第に繁殖が困難になっていました。1973年に高度経済成長が終了した後、合計特殊出生率、特に都市部のそれはじりじりと下がっているのです。

 方や、田舎のあちらにここちらにも、また都市部でも思いもかけない所に、早々に繁殖出来る潤沢な資源をかき集めて蓄積している人たちが巣くっているものです。どう見ても、その人たちとその子供たちは、産業国家たる日本に寄与するような働きをしているとは思えないのですが。

          †

 交配して繁殖するならば同一種である、と言うのが所謂”高等生物”の基本原理です。ウィルスやらバクテリアレベルでは通常の交配以外での遺伝子の交雑は当たり前であることが認識されつつありますが、体が大きく生殖行動がきちんと決まった生物では交配しない・交配しても子供が出来ない・交配して子供が出来てもその子供自身は生殖能力がない、ならばお互いは”別の種類”だと言うのが一応の原則です。

 そう言えば、かねてから疑問に思っているのですが、17年セミのようなセミでは”それぞれの年に生まれているセミ”の間は交配が行われない訳ですから、種として分裂しつつあるんじゃないでしょうか? 年毎に模様や鳴き声が少しづつ違うセミが出てくる、と言うのはまぁ楽しくなくもないのですが、少々不気味かも。

          †

 人間は基本的には世界中お互いに同一の種なのですが、何しろ行動様式を常に進化させている種なので、”行動的に別の種”と言う事が随分簡単に起こってしまいます。一つの社会と信じ込まれている中でも通婚が社会的に行われない・禁止されている場合、その社会は階級社会であり、相互に”別の種”を目指している、と言う訳です。典型的にはインド・ヒンズー教徒は階級間の通婚が宗教的に禁止されていました。

 現代日本の階級の間で通婚が次第に困難になっていく可能性は十分あります。その時その時でコマネズミのように働く事を繰り返し、早々に子供を作る階級。特段の土地や資産はないが、自分自身に投資をして本当の意味で働き続ける階級。会社や政府の経営権を支配したり土地を持っていることで、特段働いていないのに暮らし続ける寄生虫階級…。これらが少しづつ遺伝的形質も異なって、例えば数十年後に黒日本人・黄日本人・白日本人に分裂する、なんぞと言う悪夢もそろそろあり得そうにも感じられた冬の寒さだったことよ。

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読了 韓国企業はなぜ中国から夜逃げするのか

仏暦2552年05月19日 水曜日

大原浩 2008.09.30 韓国企業はなぜ中国から夜逃げするのか 講談社

0 ホンダとコニカミノルタの悲劇
1 激増する「夜逃げ」の舞台裏
(1) 中国に追い詰められる韓国企業
(2) 中国では儲かっていない韓国企業
(3) 韓国人男性は白馬の騎士
(4) 「毒入りギョーザ事件」と「キムチ戦争」
2 韓国バブル経済の真実
(1) 日本のバブル記よりも加熱する国
(2) 韓国の製造業は日本を越えるのか
(3) IT産業と八百屋の共通点
(4) 欧米には少ない伝統産業
(5) なぜ韓国人は美容整形をするのか
3 中国国営企業の全内幕
(1) 疑われた「改革・開放」政策
(2) GDP成長にこだわる理由
(3) 南巡講和の本当の目的
(4) 改善不能な投資効率
4 中国は強国になれるのか
(1) 中国のカースト制度とは
(2) 中国の実質的な失業率は20%
(3) 政府が恐れる高学歴失業者
(4) もっとも繁栄した時代の国土の面積は
(5) 繁栄への道は国土と人口を半分にすること
(6) 中国と韓国の「高句麗問題」とは
(7) 大きな領土が富を生まない理由
(8) 上海から1000キロ行けば大昔の生活
(9) エネルギー・資源の高騰で脱中国
(10) 膨大な貯蓄は国営企業の赤字穴埋めに
5 中国の少子高齢化の衝撃
(1) 少子高齢化のプラス効果
(2) 徴兵制が加速させる韓国の少子高齢化
(3) 中国社会を崩壊させる「小皇帝」
(4) 1人が6人を扶養する時代に
(5) 上海の女性たちが嫌われるわけ
(6) 踏んだり蹴ったりな世代とは
6 底無し沼の不良債権問題
(1) 経営内容が見えない中国の銀行
(2) 借金を返さないのが優秀な経理マン
(3) 国営企業に貸した瞬間から不良債権に
(4) 頻発するドラマさながらの横領事件
(5) サブプライムとは比較にならない激震
7 バフェットが見せる中国の未来
(1) 自らの投資原則を破ったバフェット
(2) 初めて海外投資を行った理由
(3) 中国政府の姿勢に感じた不安
(4) 日本への工場再移転が起こる理由
(5) 海外からの信用よりも国内事情を優先
8 シンガポールと中国は何が違うのか
(1) 中華民族同士で言葉が通じないわけ
(2) 今も残る鞭打ち刑
(3) アジアをコントロールする客家
(4) 無血で多党制に移行できるのか
9 続々と撤退する外国企業
(1) 直接投資で儲かった話は聞かない
(2) 外資系企業総脱出の可能性
(3) マカオでスッて公金に手をつける役人
(4) シンガポールが学んだ中国ビジネスの教訓
10 日本企業はどうする
(1) 4000年でなく60年の歴史
(2) 文化大革命で変質した中国人の心
(3) 挨拶がわりの「南京大虐殺」
(4) 水資源に見る中国成長の限界
(5) 広州ホンダに見る日本政府の狙い
(6) コニカミノルタ事件の真相
X 韓国企業はタイタニック号のネズミ

 韓国とシンガポールを通じた姿を交えながら中国の実像を記した書。目次を一覧すれば明らかなように、中国の内情がかなり悲惨である事を記している。

 本書が出版されたタイミングに注目する必要があるだろう。2008年後半に入ってから中国経済の極端な悪化が明らかになりつつある。筆者が指摘してきた問題は多くの目にも明らかになりつつある。その意味で本書の出版のタイミングは些か遅すぎたと言うべきかも知れない。

 だが、2009年の初頭の現在においても中国崩壊論と中国躍進論はせめぎ合っている。その中で、本書は中国崩壊論の位置づけと言う事になるのだろう。実際、帯紙には「日本企業もすぐ逃げろ!」「中国は必ず分裂する!」と言う扇情的な言葉が並ぶ。その、逃げようとすると様々な嫌がらせを受けて事実上撤退出来ないようにしているからこそ本書は韓国企業が”夜逃げ”をしているのだと論じているのだから、これは少しばかり矛盾したものだ。

 中国崩壊に関して筆者は中国への投資とは要するに中国政府への投資であり、それは果てしない不良債権化を意味していると論じ、クラッシュした場合に大問題になるとしている。しかし、投資の総額を本書は明らかにしておらず、論拠は不十分だ。消費財生産の面では安価なモノが少なくなるので若干の影響があるが、これはさしたる問題ではない。むしろ、政治的軍事的な問題の方が遙かに大きくなると予測出来る。本書のさりげない「力関係からすれば共産党は人民解放軍の利益を実現している存在だ云々」の記載が重要だろう。だが、それが意味する所は殆ど記載されていない。

 中国崩壊論と裏表を成す日本堅固論に資する記述が本書にはあちこちに見られる。例えば、機械部品をマトモに作れるのはドイツと日本が特異的なのではないかとか、「GDP1単位を生産するために必要なエネルギーは日本を1とするとアメリカは2、韓国は3、中国は6」と言う具合だ。

 だが、日本にも当然非生産部門は多数あり、それは昨今むしろ大きくなっているのではないか。日本の非生産部門を面と向かって指摘する研究が極めて乏しいので、非生産部門の問題全体が把握出来ていない。安定した雇用そのものを非生産呼ばわりする論調は流石に少なくなった。だが、農林水産業とそれへの支援を口実とした公費出費が余りにも非生産的だと指摘する論はいよいよ妥当性を増しているようだ。関西国際空港があれだけ赤字である一つの理由が、漁業権に対して法外な補償金を払ったからだと言う指摘もあった。都市部を見れば、劣悪なビルやアパートを建てて平然としている地主たちが最も安穏に暮らしているのがモロに見える。

他方、アメリカによる日本の収奪を指摘する声もようやっと大きくなりつつある。世界にとって、アメリカは今や完全に非生産部門であり、余りにも悲惨な重荷になっている。日本人は将来に対して悲観的過ぎると指摘する意見が少なくないが、日常的にこれら非生産部門に接しているのは日本人庶民であり、その皮膚感覚の方が公的統計やそれに基づいたご立派な経済理論よりも現実に適合しているように思われる。

 結局、本書から読み取るべき最も重要な事は、

「まともに働くとまともに報われる社会を作るのはなんて難しいのだ!」

と言う事のように見える。「中国は社会体制や思想の観点からすれば4000年の歴史のある国ではなく、高々60年の歴史にしか過ぎない」と言う記述が痛切だ。一度何とか”まともな社会”を作ったらば、常に雑草やガンを見張って除去し、維持しなければ民族の幸福や繁栄はないのだ。

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読了「コレステロールと中性脂肪で、薬は飲むな」

仏暦2552年05月16日 土曜日

大櫛陽一 2008 コレステロールと中性脂肪で、薬は飲むな 祥伝社

 ”コレステロールと中性脂肪”についての医学啓蒙書。基本的に、日本のコレステロールと中性脂肪についての健康診断基準なるものの非科学性を批判する書であり、日本人の0.2%が患者である家族性高脂血症者以外、特に女性の場合には薬剤によって”高コレステロール”値を下げる必要はないどころか、有害であるとする。

 全体として、順を追ってまず「はじめに」を読めば要約が理解できる。結論はかなり簡単だ。

○ コレステロールの内LDLは8割が肝臓由来、2割が食事由来であり、ホメオスタシス機構が効いているので、要するにストレスや体の激しい代謝により必要量が増大すれば血中濃度は上昇する事。HDLは代謝が激しくなって壊された細胞が増えれば量が増大すること。

○ コレステロールの血管への沈着と言う喧伝される経路は、そもそも血管に炎症がない場合には起こらないこと。

○ よって、高コレステロールはLDLのモニターが欠損している家族制高脂血症患者以外には却って問題はない事。特に日本人の場合死亡率はガンが心筋梗塞の3倍とアメリカの逆であり、むしろ低い事が問題である事。

○ 中性脂肪は脂肪の回りをグリセリンが囲んだ物質であり、単純に燃料であり、殆ど疾病と関連性がない事。

 本書は続いて、「はじめに」に記したこの結論が何故妥当なのかの些か長い論証を記している。この部分は、何しろ明らかに珍妙なコレステロールと中性脂肪についての日本の基準値が決定された論理をも併せて追っているので、かなり解りづらい。加えて、論旨上当然ではあるがメタボリックシンドロームの日本における基準の珍妙さをも論ずる章が続く。おまけに、本当に注意すべき要因が合間に混入されている。血圧のパラメータも関与するとされているのでこちらにも議論が割かれている。

 これらを整理すると、真に配慮すべき要因は以下のようになる。

○ 280mg/dlを越える極端に高い総コレステロール値は流石に死亡率を上昇させるが、159mg/dl未満の死亡率上昇ほどですらない
○ タバコは当然ながら強力な負因
○ 牛乳を飲んでから食事をすれば脂肪の効果で血糖値が急上昇せず、糖尿病予防の効果あり
○ マーガリン等のトランス脂肪(水素飽和脂肪)は血管を傷つけ各種血栓症の真の原因となっている
○ 糖尿病は空腹時の軽い運動を行う事で予防可能

 だが逆に、かようなパラメータが多く、解りづらい事こそが「高血圧・メタボリックシンドローム・高コレステロール・高中性脂肪」問題の本質を人々から隠蔽する仕掛けとなっているのだろう。話を複雑にしてごまかしをやると言うのは、ごまかしから利益を得る人々が良く用いる手ではある。このごまかしのロジックをすっきりとした形であぶり出し切れていないのは甚だ残念である。

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その確率、信じられますか?

仏暦2552年05月13日 水曜日

 福岡県にて、有力暴力団の組長逮捕。この組長と配下の2名が逮捕された経緯と言うのが、実に次のような事だとか。

 ゲームセンターにクジで商品があたるゲーム機がありますが、この組長、某ゲームセンターの従業員に申し出てこの機械に入っていた180本のクジを全部買い占めたそうな。ところが欲しかったブランドバッグが当たる1等の籖がその中に一本もない! ふざけるな、俺は何々組の誰某だがどうオトシマエを付けるんだ…と恐喝しあっさり逮捕、との由。

 事件そのものはある意味馬鹿げた犯罪に過ぎませんが、考えてみれば現代資本主義の”隠された・ないことになっている”非常に大きな二つの問題があらわになったとも言えます。

 第1は、

「その商品やサービス、更には店を信用して良いのか?」

と言うこと。ブランドバッグとなれば幾ら小さくても100円×180本=18000円では景品としては提供できません。多分このゲーム機は何度か籖を入れ換えて、その中で1回だけバッグが当たるようになっているんでしょう…と言うことを本当にやっているんでしょうか?180枚の籖を全部ひっくり返す事で、この隠された、問い掛けてはいけない疑問があらわになってしまいました。

 第2は、実は彼の行動はある意味合理的であり、むしろ合理的であるような顔をしている資本側に珍妙な所があることがバレてしまった事。これは、更に二つの側面に分かれます。

 第一に、そこにある籖を全部買い占めれば1等が中に入っていると期待するのは、完全に合理的です。そうではなかったのは、ある意味詐欺なのか?第1の問題で論じたように、店が誠実に当籖確率を一定に保っていると信じて良いのでしょうか?そもそも信じるとかをするべきではない、つまりゲームセンターは”本気”の場ではないのだ、と言う暗黙のお約束が何時の間にか人々を縛っていたように見えます。

 第二に、

「どうしてもそのブランドバッグが気に入った!」

のだから幾らお金を払っても良い、と言う行動は現代資本主義において歓迎されるべきもの。果てしなく”高級”とか”エコ”だとか称して、本来のコストに乗せた多少の利潤よりもはるかに大きく法外とさえ言える利潤を得ようとするのが現代資本の論理。かの暴力団組長はその論理にすんなり乗った行動をしてくれただけです。実に”正しい”行動でしたし、当籖籖がなかったのを怒ると言う所までは至当な行動とすら言えます。ところが、この行動が実に珍妙な犯罪へと彼を導くことになりました。


 うっかりするとその社会の規範に反するひっかき回し行動をすることで、結果として思いがけない良いことを齎す存在は世界の神話や伝説の中で

「トリックスター」

として知られています。今回、かの組長は社会の奥底にあって当然の原理として人々を無意識の内に縛っている原理を、少なくとも廣島に対してはあらわにするトリックスターの仕事をしてくれました。

 人間、何か思いがけない良いことをする事もあるもんだ、と申しておきましょう。

仏暦2552年05月14日 木曜日

 福岡県にて、有力暴力団の組長逮捕。この組長と配下の2名が逮捕された経緯と言うのが、実に次のような事だとか。

 ゲームセンターにクジで商品があたるゲーム機がありますが、この組長、某ゲームセンターの従業員に申し出てこの機械に入っていた180本のクジを全部買い占めたそうな。ところが欲しかったブランドバッグが当たる1等の籖がその中に一本もない! ふざけるな、俺は何々組の誰某だがどうオトシマエを付けるんだ…と恐喝しあっさり逮捕、との由。

 事件そのものはある意味馬鹿げた犯罪に過ぎませんが、考えてみれば現代資本主義の”隠された・ないことになっている”非常に大きな二つの問題があらわになったとも言えます。

 第1は、

「その商品やサービス、更には店を信用して良いのか?」

と言うこと。ブランドバッグとなれば幾ら小さくても100円×180本=18000円では景品としては提供できません。多分このゲーム機は何度か籖を入れ換えて、その中で1回だけバッグが当たるようになっているんでしょう…と言うことを本当にやっているんでしょうか?180枚の籖を全部ひっくり返す事で、この隠された、問い掛けてはいけない疑問があらわになってしまいました。

 第2は、実は彼の行動はある意味合理的であり、むしろ合理的であるような顔をしている資本側に珍妙な所があることがバレてしまった事。これは、更に二つの側面に分かれます。

 第一に、そこにある籖を全部買い占めれば1等が中に入っていると期待するのは、完全に合理的です。そうではなかったのは、ある意味詐欺なのか?第1の問題で論じたように、店が誠実に当籖確率を一定に保っていると信じて良いのでしょうか?そもそも信じるとかをするべきではない、つまりゲームセンターは”本気”の場ではないのだ、と言う暗黙のお約束が何時の間にか人々を縛っていたように見えます。

 第二に、

「どうしてもそのブランドバッグが気に入った!」

のだから幾らお金を払っても良い、と言う行動は現代資本主義において歓迎されるべきもの。果てしなく”高級”とか”エコ”だとか称して、本来のコストに乗せた多少の利潤よりもはるかに大きく法外とさえ言える利潤を得ようとするのが現代資本の論理。かの暴力団組長はその論理にすんなり乗った行動をしてくれただけです。実に”正しい”行動でしたし、当籖籖がなかったのを怒ると言う所までは至当な行動とすら言えます。ところが、この行動が実に珍妙な犯罪へと彼を導くことになりました。


 うっかりするとその社会の規範に反するひっかき回し行動をすることで、結果として思いがけない良いことを齎す存在は世界の神話や伝説の中で

「トリックスター」

として知られています。今回、かの組長は社会の奥底にあって当然の原理として人々を無意識の内に縛っている原理を、少なくとも廣島に対してはあらわにするトリックスターの仕事をしてくれました。

 人間、何か思いがけない良いことをする事もあるもんだ、と申しておきましょう。

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読了「阿部彩 2008 子供の貧困」

仏暦2552年05月05日 火曜日

 国民の祝日、「子供の日」に…

阿部彩 2008年11月 子どもの貧困―日本の不公平を考える 岩波書店

1 貧困世帯に育つということ
 ア なぜ貧困であることは問題なのか
 イ 貧困の連鎖
 ウ 貧困世帯で育つということ
 エ 政策課題としての子どもの貧困
2 子どもの貧困を測る
 ア 子どもの貧困の定義
 イ 日本の子どもの貧困率は高いのか
 ウ 貧困なのはどのような子どもか
 エ 日本の子どもの貧困の現状
3 だれのための政策か―政府の対策を検証する
 ア 国際的にお粗末な日本の政策の現状
 イ 子ども対策のメニュー
 ウ 子どもの貧困率の逆転現象
 エ 「逆機能」の解消に向けて
4 追いつめられる母子世帯の子ども
 ア 母子世帯の経済状況
 イ 母子世帯における子どもの育ち
 ウ 母子世帯に対する公的支援―政策は何を行ってきたのか
 エ 「母子世帯対策」ではなく「子ども対策」を
5 学歴社会と子どもの貧困
 ア 学歴社会のなかで
 イ 「意識の格差」
 ウ 義務教育再考
 エ 「最低保証されるべき教育」の実現のために
6 子どもにとっての「必需品」を考える
 ア すべての子どもに与えられるべきもの
 イ 子どもの剥奪状態
 ウ 貧相な貧困観
7 「子ども対策」に向けて
 ア 子どもの幸福を政策課題に
 イ 子どもの貧困ゼロ社会への11のステップ
 ウ いくつかの処方箋
 エ 「少子化対策」ではなく「子ども対策」を


 本書は貧困に関して十分に学術的とは言い難いが、豊富なデータを提示して読者を説得しようとする書物であると言える。本書が十分に学術的ではないと言う所以は、そもそも学術的には「貧困とは何か?」をきちんと定義してから議論と分析を開始しなければならないのに、本書の末尾第6章に至ってやにわに”真の貧困の定義”と言うべき「相対的剥奪」が持ち出されるからである。

 本書は第5章まで当該社会の世帯所得分布の手取りの50%以下の手取りである場合とする相対的貧困の概念を用いて議論を行っている。この指標は生活に真に必要な資材やサービスが購入出来ているかを必要との兼ね合いで定義していないので、要するに”物入り”な育児世代が事実上貧困である事を認識できない。だが、この定義からですら驚くべき結論が次々と導き出される。中でも驚くべきなのは、市場所得、即ち単純な勤労及び資産所得に加えて税や社会保障等を加えた”手取り”の額が子ども世帯では逆に下がってしまう、と言うことである。つまり、日本では子どもを育てると社会から支援を受けるどころか、逆に経済的に袋叩きにされるのだ!(※と筆者もこの部分でのみ!を使っている)勿論、先進諸国は全く逆である。これでは人口維持だの何だのと言うのは到底不可能だ。

 本書のこの指摘は非常に生活実感上納得できるものである。廣島の場合、一応終身雇用の職にあるが、それは若年時代に払われるべき給与を定年直前に極端に傾斜をつけて振り付ける形で制度設計が為されているために、制度が想定していたであろう育児終了年齢を過ぎてようやっと育児に入った今、かなりの剥奪状態にあると自認出来る。加えて、バブル景気崩壊後の変化により、定年前の15年間に亘って事実上昇給なしの状態に落とし込まれている。このように、情勢が少々変化するだけで剥奪状態になってしまうのも、筆者が主張するようにそもそも国全体として諸制度が”子どもが育つ事を支援する”形になっていないためだと言える。と言うよりも、日本の殆どあらゆる制度は、常に”ピントが少しづつ外れている”と感じられる。意図的に外しているように感じられる。

 本書が定義の後出しの配列になっている理由は簡単で、そもそも今やはっきりと後進国の仲間入りを果たしつつある日本においては、粗雑な所得に関するデータ以外のデータはさして整備されていないからである。筆者はこれ以上の事をしようがなかったのだ。本書が学術的でないと廣島が批判するとき、その矛先は苦労が多かったであろう筆者には全く向いておらず、この程度のデータしか作れない・作らせない日本の”総合的貧困”とそれを作り出している人々にこそ向いている。実際、相対的剥奪に関するデータは筆者が以前に行った合計1800名対象のインターネットでの調査によるものであって、日本ではこれだけしかデータがないらしい。

 その結果もまた驚愕に値する。例えば、健康診断を含めて子どもが医者や歯科医師に行くことは「与えられた方が望ましいが,家の事情(金銭的など)で与えられなくてもしかたがない」とする人々が実に1割もいるのである。勿論このような値は、併置されているイギリスのデータ等から見ると随分悪いものだ。高等学校及び専門学校(※これらは教育制度及び教育内容からは、中等教育に属する。日本においては短大、大学、大学院が高等教育であり、誤解が多いのだが高等学校は”高等中学校”の略称であってあくまで中等教育である)ですら同様に考える人の率は実に35%である。中学校卒業者に対する高等学校卒業者の比率が88%で頭打ちになっているとの批判がある。2009年現在この値は未だに維持されているが、今後この数値すら70%以下に下がる可能性があることをこのデータは示唆する。特段に資源や地の利がある訳でもない国がそのように知的水準を落とした場合どうなるか、戦慄の他はない。

 だが、本調査はやはり精度は疑わしいと言うべきで、ネットでこのような調査に暢気に答えられる階層と言うのは、年齢は分散させてあるとは言え、富裕な層に属するものであろう。本書が強い同情と共に記している階級が含まれているとは到底考えられない。となると、本調査が示すものは実は、

「同胞に対する支配的階級の冷酷非常さと近視眼ぶり」

なのではないだろうか?勿論、これは十分すぎる問題であるが。比較的貧困な階級が本調査と同様の結果を示すならば、この日本人のメンタリティは

「奴隷根性 とか 自虐性」

と命名されるべきかも知れない。とまれ、日本の社会が今後どのように貧困化し没落するかは本書のこの第6章の表を通覧すれば見えてくるように思われる。

 本書が主張するように、子どもたちを剥奪状態に置いてその成長を阻害することは、日本の未来を暗くするだろう。これは言うなれば”前門の虎”だ。だが、本書が主張するような子どもへの支援施策を行うためには予算が必要だ。それはどこから持って来るのか?

「日本の真の問題は、資源投資・配分の合理性に欠け、人権感覚即ち人間の様々な働きを支援する観点に乏しく、資源の配分と再配分が専ら利権抗争により決定していると言う点にある」

と廣島は考える。よって、より予算が必要になった場合、”看板”に仕立て上げられる子どもたちにだけ若干の投資が回り、再配分のためにまた新たな外郭団体が形成されて大きな間接費用が発生し、税収源となった階層は更に激痛を味わう事になりはしないか? 廣島は、この”後門の狼”を恐れる。自分が”後門の狼”に襲われる可能性を考えざるを得ない。

 本書は分析から具体的な政策提言まで一貫した記述を行っている。それによりここまで様々に考えさせてくれるのが、本書の優れた点であった。

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覆水鉢に帰らず

仏暦2552年05月01日 金曜日

はたまた、

「吐いた唾は飲み込めない」

と言うのは、要するに

「やっちゃったこと、起こってしまったことはもう元には戻らない」

と言ういにしえの知恵ある言葉であります。ことわざは何でもそうなのですが、一定の文脈からだけ読んではいけない。小賢しい人物がひとつだけの文脈だけから理解しようするから、ことわざは矛盾だらけの妄言であるかのように見えてしまいます。これらの言葉も、

「だから、何を成すにも注意深くあれ」

と言う諭しであるとも言えるし、

「起きちゃったものはしょうがないから、すっぱり諦めよう」

と言う気分一心再奮起を促す励ましであるとも言えるし、

「起きてしまったことはどうしようもないのだから、せめてきっちり責任(※損失補填)を取れ!」

と言う厳しいお仕置きの言葉であるとも言えます。


 さて、世間の不景気のドツボは更に激しくなる一方ですが、ニセガネをしこたまこさえて私服を肥やしていたアメリカのエリート共が第1の元凶ではあります。与信の与信のそのまた与信…となると、これはもう立派なニセガネであり、円天はたまたスーパーKと似たようなものと申せましょう。勿論、連中がそのようにした・できたのには立派な原因がある訳でして、アメリカ合衆国の官民がばかすか浪費をして$を垂れ流してきたのがそもそもの原因だったりします。以前にも申したとおり、もし$が本来の赤字に応じてより大量に発行されていたらば、$の価値は今よりも遙かに下がっていたでしょう。

 ちなみに、昨今一時的にアメリカ$の値段が猛烈に上がっています。アメリカによって強制的に富を吐き出させられている日本が価値を裏打ちしていると言うこともさる事ながら、これらニセガネを本来の(どんどん価値が下がって子安貝化している)$紙幣の代わりに世界の人々が掴まされたものだから、一時的に$紙幣の方が値上がりしている、と言うだけのことです。

閑話休題。

 だが、この”因果の経路”だけが問題の元凶ではありますまい。世の中の事象は常に複数の要因によって生起するものだからです。特に日本においては先だっての1929年恐慌の時もそうだったのですが、社会の発展を阻害する国内要因が強力であり、恐慌の到来でそれらが一気に噴出すると言うパターンの繰り返しです。かかる日本における社会の豊かさを損なう幾多の要因を、本ブログ及び本体Webにおいて廣島は長年指摘し続けて来ました。それらは概ね適切だったのであり、何を今更世間の人々は泣き叫び、もっともらしく獅子吼して見せるのか、と心が冷たくなる一方です。

 さて、そんな廣島の長年の警告の一つに

「日本は自動車をこんなに多数保有し続けられない」

と言うものがあります。クルマのかなりの部分は、「消費財つまり労働力の再生産のための投資」ではなく、単なる奢侈生産に過ぎない、と考えているのです。

 今、アメリカの新車販売台数は昨年実績で1000万台になると言うことで大騒ぎになっています。だが、大体自動車が15年程度は走り続けられるとして、均衡状態に至った場合に1億5千万台になります。アメリカの人口が3億4千万人ですから、半分弱。これは世界的な水準からすれば十分過ぎる。一家に一台の水準を遙かに抜いていますから、流石におかしい。人口の1/3で揃えると1億1千万台、つまり年間760万台の水準が”適正”と言う事になります。

 日本はどうでしょうか。2008年の国内販売台数は321万台、軽自動車は189万台の由。いい加減自動車と軽自動車を分けて統計を出すと言う馬鹿馬鹿しい事は止めてほしいと言うのは当然として、合計510万台。これに15年をかけると7650万台となり、下半期激減でも現在の水準維持と言う話になってしまいます。つまり、現在のクルマはもっと短いサイクルで廃車になっている、と言う事。贅沢ですね。先程と同じ計算をすると、年間270万台と言う事になります。現在のざっと半分です。

 ただし、日本はアメリカよりも自動車において非常に贅沢をしている筈です。そもそも人口が1億2千万人で平地が全体の30%程度しかありませんから、国土面積38万平方kmに対して実質人口密度は1052人/平方kmと言う世界的に見ればとんでもない高密度です。クルマを縦横無尽に走らせるメリットは元来極めて乏しく、圧倒的に多くは鉄道やバス等で賄い、自動車は主として貨物を運ぶために使うべきものでしょう。年間270万台よりももっと少ない台数が本来の年間新車販売台数と言う事になります。

 ちなみに、こうまでクルマが多いのは、田舎風味の生活をするのがすばらしいと言う観念を擦り込まされているからなんでしょう。バスもロクに通わない地域で一戸建てで広々と生活するのが素晴らしい、と。鉛筆一本買うにもクルマが必要な所が素晴らしい、と言う事になっている。そんな事はないのですがね。

 またしても、閑話休題。

 と言う具合に推定には幅があるにしても、何れにしても日米共に

「激減と言う事になっているここ半年の販売台数程度が近未来の水準」

と言う予測が容易に成り立ってしまいます。

 さて、問題は日本の自動車メーカー経営者たちの判断です。トヨタが増産しまくっていたと言うのは昨今顕著に指摘されている事です。ホンダは非常に慎重でしたが、なお厳しい状況に追い込まれたようです。他の会社はトヨタに近いスタンスだったと言えます。本来であれば以上のような未来予測に基づいて国内自動車販売はジリ貧になると容易に予測できる訳で、当然それに基づいて経営判断を行うべきでした。

 リアルな現実に逆らって増産をし、これらの企業は一時的に大儲けをしました。そして、

「労働力や工業用部品、用地等の生産財を未来のない産業に引きずり込んで浪費してしまった」

と言う重大な問題を残してしまいました。今、自動車業界から放り出されている契約社員の諸君は、本来であれば別の産業に回ってちゃんとした仕事をして技術を習得していたかも知れない人たちでした。人生を返せ!と言うべきでしょう。敷地も、投入された金属やプラスチックも、全てそうです。

 覆水鉢に帰らず。一体これらの経営者たちはどういう責任を取るのでしょうかね? 例えば、勝手に大風呂敷を畳んで創業家に大政奉還するトヨタは、創業家が自動車ワールドを支配することが最終目的なんでしょうか。

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