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土地で働く 対 土地でピンハネする


仏暦2552年03月28日 土曜日

 本ブログや本体Webではかねがね”地主階級による搾取”と言う非常に古典的な、だが現代日本においてこそ隠微に甚だしくなっている非生産現象について言及して来ました。どうもこの

「地代は搾取である」

と言う古典的な経済学の概念が日本全体として全く理解されておらず、ためにここに日本の発展を阻害する強大な妨害要因が存在することが全く全然ど〜しよ〜もなく認識されていない、と思えるからです。日本の場合、

「土地をネタにしての様々な公的資源投入先の歪曲」

も誠に甚だしく、日本衰退を一層甚だしくしていると考えざるを得ません。


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 昨今評価が上がっている某革新系政党もこの”地代は搾取である”と言うことが分かっていないのかも…と思わせることが随分以前にあったものです。

 先般から少々記している、廣島が住みつくマンションの西側に存在していた鉄筋アパート&大家の一戸建て×2の敷地。一応整地されてやぶ蚊の発生はなくなったところまでは記したとおりです。目下”次に破綻する可能性が高い不動産・建設関連企業8社PANCH PTA CANDY”の一社と思われるDによって11階建てマンションが建設されつつあります。小さな建設会社がDから現金が出る度にと言うことでしょう、ちんたらちんたら少しづつ作業をしています。

 さて、この今はなき鉄筋アパートの一階に”S”と言うレストランがありました。全然流行っていないのが明らかなのに店を畳むでもないので、どうやらこの地主自身かその縁者が運営しているとしか考えられない店でした。で、某革新政党なのですが、いつぞや選挙運動で廣島に電話をよこして来たことがありました。どこからどうしてそういう話になったのか記憶が定かではないのですが、この女性運動員がふと、

「S通り」

と言う名前を出したのです。廣島の巣くうマンションもSレストランも市が主要市道として整備に力を入れている大通りに面しているのですが、この通りは”E街道”が通称です。市役所も使っているし、地図にも掲載されているし、Wikipediaにすら掲載されてます。地元でも”S通り”なんて名前を使う人はいません。

 となると、この某革新政党は意外なことに、ここの地主と関係が深かったとしか考えられないのです。まぁ往古、エンゲルスは工場主でマルクスを支援し続けた事は有名です。関係が深い地主がいても不思議ではありません。だが、世の中のためになっていないオタメゴカシに経営しているレストランの名前を付けた内輪の用語を平然と使う、と言うメンタリティにはどうも釈然としないものを感じます。

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 この地主は、”この土地で働いていた”と言えるでしょうか? かなりしばしば、地主さんが小さなアパートを建てて経営し、小まめにアパートの管理人もしている場合があります。経験的に見て、大体50戸以上のマンションとなると昼間通いで常勤している管理人がいます。これよりも少ないと、住民たちが交代で掃除等をしています。ペイしないのですね。さもなければ非常に高級なマンションなので戸数が少なくても管理人どころか警備員までいたりするものです。さて、50戸以上のアパートで地主が管理人もやっているような場合、アパートを建てるべきかのリスクを負い、どのようなアパートをどう経営するかの判断も行っているのですから、その地主さんは”立派にその土地で働いている”と言って良いでしょう。

 だがそうではない場合、勿論地代の取り分にもヨリケリですが、その地主は搾取をやっていると判断されるべきでしょう。この鉄筋アパートはそれよりも少ない戸数でしたし、地主の2戸の自宅は住む人も明らかに少ない。この敷地全体も空き地が多く、有効に活用されていませんでした。大部分の敷地は、近所の私立中高校へのバスの発着場と町内会の夏祭りのパレードの休息所になっていたに過ぎません。この地主はいい加減なアパートとレストランをこさえて土地価格が上昇するのを待っていた、としか言いようがありません。高い値段で土地を売り、その土地がマンションや住宅等になった場合、その土地を買わざるを得なかった人々から地主は事実上の地代の形で搾取を行うのです。

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 件のレストランは、かみさんがモノは試しだから一度入ってみようと言っていたのですがその機会もなく、アパートの消滅と共に移転することもなく消滅しました。

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再読了 「ああアメリカ」

仏暦2552年03月22日 日曜日


板坂元 1973年 ああアメリカ 講談社

 実に36年前の本である。18年前にも読み直し、当時存在していたパソコン通信ネット・マスターネットの書評のボードに以下のように書き込みをしている。そして、筆者の36年前の慧眼も、それを読んだ木っ端科学者の18年前の目も、今日何れも正しかった事が”証明”されてしまった。

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Article # 600 of 2138 日付 : 91/11/24 08:47:14 バイト数 : 2112byte
発信者 : abc162( ) Base message
表題 : 「ああアメリカ」


 アメリカ合衆国の状態がいよいよ悪化している現在、昔読んだ本を引っ張りだして来ました。(^_^)この本、まだ出てるんでしょうか?

書名    :ああアメリカ−傷だらけの巨象(講談社現代新書305)
著者    :板坂元
発行年月日 :昭和48年2月10日
価格    :330円(昭和52、3年頃)もちろん、消費税無し!
ISBN  :まだなかった!(^_^)
概要及び所見:
 長年アメリカ合衆国で大学の教鞭を取って生活した著者のアメリカ記。大きな目次を列挙すると…

1 不便なアメリカン・ライフ
2 働かない労働者
3 飼い慣らされた市民
4 資本主義の素顔
5 抵抗する市民
6 病めるアメリカ

 というぐあいで、アメリカの問題の根源を、

@ 消費者を徹底的に”搾取”し肥え太る大資本
@ まともに働かないのにべらぼうな給料を取るブルーカラー

に求めていると言う内容になっています。

 流石に20年の歳月はいろいろな変化を生じさせるものでして、例えば、本書の中で市民の抵抗運動(ただし、著者に言わせれば、健全ではない)として上げられたヒッピームーヴメントは、最近、音沙汰がありません。

 「大学時代のアメリカンフットボールの2軍の補欠だったようなところが抜けない」とこき降ろされたニクソンは、果たしてウォーターゲート事件で失脚しました。

 だが、そのようなことは、どちらかと言うと、風景の書き割りのようなものなんでしょう。本書が指摘していた貧富の格差の拡大、はついにホームレスの明瞭な増大となって現れているもののようです。まともに働かない国民は、国威をかけて上げた筈の宇宙天文台の鏡を狂わせました。ニクソンが、ドルショックに踏み切った時に、アメリカ人に耐乏を求めなかったことを著者は批判しておりますが、その後、カーターさんがまともな方向に戻そうとあがいたものの、レーガン、ブッシュと、ニクソンがしたように国民を甘やかして来たようです。

 そして、20年の歳月は、アメリカ的豊かさがそもそももう絶対的に成立しないこと、これ以上アメリカ的豊かさを追求する限り、かえって貧困が襲ってくることを、資源・環境問題という形で現し…(この観点が著者に全くないのは時代を考えるといたしかたないところか。)

 アメリカが本書がかかれた頃にやった阿呆の数々は、当のアメリカだけでなく、日本をも襲って来まして、それを考えると頭が痛くなりますが、まぁ、とりあえずは、

「古い本は、何かとやっぱり面白い!」

 と言っておきましょう。(^_^)

ABC162 広島

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 2009年現在、本書に記載されていたアメリカ合衆国の問題はいよいよ甚だしくなり、そもそも働く気もなければ働く口もない人々に最初から返済のあてもないのに大量の住宅ローン貸し付けを行い、それが破綻して世界中に大津波を起こすと言う仕儀に至っている。働かずに家をゲットするほうもするほうならば、後始末は誰かがやってくれるように仕組みをして多額の役員報酬をかっさらっていく方もいく方である。ビッグ3は本書に記しているとおり、自動車をマトモに作る気力も能力もなくして、潰れていっている。

 多くのエコノミストやら学者やら評論家やらがアメリカの景気がどうのこうのと言う事を言っているが、要するに、

「働かざる者食うべからず」

と言うことであった。

 それにしても、この働いていない人々は何と長く享楽の日々を楽しんだ事であろうか。成るほど、本書が言うように、アメリカ合衆国の潜在力は実に大きかった。実に36年も自堕落の日々を過ごせたのだから。

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借金の返し方 または返さない方法

仏暦2552年03月18日 水曜日

 日本については、今回の恐慌の真の原因は日本自身が内需を充実させなかったことによるものでした。リーマンショック等と言うのは、引き金であり世界的な要因に過ぎません。

 で、この引き金を引いた要因でありかつ世界的な要因になったのは、ご存じアメリカ合衆国でした。彼の国の面々が長年に亘って借金を山のように積み上げ続けてきて、その一部が荷崩れした事が直接のきっかけでした。ファニーメイ山地とかリーマン・ブラザーズ丘陵とかは取り敢えず崩れ落ちましたが、借金の山の本体であるアメリカ国債はロッキー山脈然として全然手つかずですから、本物の危機はまだまだこれからです。

 だが、そもそも借金の山は崩れるのを眺めているべきではなく、何とか減らすべきものです。およそ借金の返し方には4つしかありません。

1 只管節約して、返す。
2 爪に土や機械油を食い込ませて必死になって働いて、返す。
3 貸してくれた人や関係者に只管頭を下げ返済条件を猶予して貰い、返す。
4 持っている様々な資産を売り払って、返す。

 アメリカ人の浪費癖は全然直っていません。ビッグスリーのトップたちが借金の申し込みのためにワシントンに自家用高級ジェット機で乗りつけた時に怒り狂うべきだったのはアメリカ国民ではなく、アメリカ国債やファニーメイの債券を買わされていた世界中の人々であるべきでした。何しろ、アメリカ人が払った税金なるものの実体は、かなりの部分が日本やアジアや欧州の人々の労働の成果なのですから。

 アメリカ人の怠惰さは全然直っていません。大統領就任式に200万人も集まるなよな、そんなヒマがあるならば中国人並みに働け!

「アメリカ人と言うのは世界で最も働かない人々」

と言っても良いでしょう。膨大な債券、つまりは単なる借用書の山と、$紙幣と言うこれまた単なる紙っぺらの印刷で食っているのですから。

 アメリカ人の傲慢さは全然直っていません。恐慌回避のG20会議…なんぞと言うべからず。協議する資格があるのはG19。G1は被告ですが、どうも被告が一番大きな顔をしているようです。マトモな借金返済方法のお説教を聞く積もりは全くなさそうです。

 となると、残る借金の返し方は4番しかありません。昨今、某ロシアの学者がアメリカ合衆国の分裂を予測して話題になっています。その過程で、例えばアラスカやらサイパン島やらハワイやら各種の兵器やらを借金のカタにする、と言うのはあり得そうな話です。

 だが、どうもアメリカ人はそもそも借金を返す積もりはなく、居直れば良いと思っているフシがあります。つまり、

5 嘘八百並べ立てて更に借金する。
6 誰かから喝上げして返す。
7 返さないで恫喝して居直る。

と言うのはまともな人間がやる借金への対処方法ではないのですが、どうもこれらをやる積もりのようにしか見えない。

 実際、オバマ氏は環境対応社会への転換だ、それによる雇用創出だ、とか言って「5」をやり始めています。でもこれって、IT社会への転換とか言って10年程前にぽしゃった話に馬鹿に似ていますがね…。(^_^;)

 そもそも、社会の転換と言うことはアメリカ人がもっと良く働けるようになる、と言う事を意味する筈ですが、土台働く気がないのですから、良く働く環境構築なんぞ意味もなければ、そこに投資をしてリターンがある筈もありません。少なくともITとかグリーン改革とかは、アメリカ人においては意味を成さないのです。

 勿論、喝上げしようにももう喝上げ出来る相手はありません。喝上げする対象の国々も大方素寒貧だからです。特に我らが日本なぞは”内外”からすっかり吸い尽くされて、哀れなものです。

 となると、残るやり口は「7」しかありません。まぁ、やってやれなくはないでしょう。何しろアメリカは世界最強の核兵器保有国です。だが、個人の破産は1回限り。核兵器も今や1回使ったらばもう世界中の人々から相手にされなくなります。勿論、

「あったハズのお金(アメリカ国債)がなくなっちゃった」

となったらば、世界中に襲いかかる恐慌はこの半年の比ではありますまい。アメリカと言う国そのものの信用も全くなくなってしまいます。国債を”炸裂”させるのは、核兵器を世界中にぶち込むのとどっこいどっこいの事態を招くことになるでしょう。

 そこで俄然現実味を帯びるのが、

8 雲隠れ。

です。例えばベストセラーになった「ホームレス中学生」。筆者の父親は窮した挙げ句、ある日「一家解散!」を勝手に宣告して子供の養育の義務も借金返済の義務も放棄してとんずらしてしまいます。そう言えば先日は、夜逃げを手助けするとも読み取れる”引っ越し屋”のちらしが散蒔かれているのを見ました。先般は、駅前商店街の自転車屋が借りていた建物の看板を元に戻すことさえせずにいずこにか去ってしまいました。雲隠れや夜逃げはこれから増えていくかも知れません。

 勿論、国家となると通常は雲隠れなんぞ出来ませんが、アメリカ合衆国の場合”雲隠れ”の方法があります。先に、ロシアの学者がアメリカ合衆国の”分裂”を予測していると記しましたが、これが雲隠れを実現してくれます。

「アメリカ国債は連邦政府の借金だから、州は関係アリマセ〜ン」

と勝手に宣告して、各州が”独立”してしまえば良いのです。”アメリカ合衆国”として残るのはWashington DCばかり…。世界中の人々が怒り狂っても、振り上げた拳を下ろす先は北米大陸には”ないことになって”しまいます。

 何て素晴らしい! 勿論、「あったハズのお金(アメリカ国債)がなくなっちゃった」→世界大恐慌、の問題は残りますが、彼らにとってはそんな事は知ったことではないでしょう。何十年かたってほとぼりが冷めた頃、”アメリカ統一運動”とかをお涙と感激と共にでっち上げてまた統一大国を作れば良いだけの事なのですから。


 さても、逃げ足のある奴等には、ご注意を。サブプライム問題やらリーマンショックやらで大きな損失が生じましたが、そのどさくさにもっと大きな損失が我らに押しつけられるかも知れません。

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再読了 真野輝彦 「日本にもうカネはない」

仏暦2552年03月12日 木曜日

真野輝彦 1990 「日本にもうカネはない 1億2千万人の金満幻想」 ネスコ(日本映像出版社)

 本書はバブル経済の真っ最中に発刊され既に絶版になっているが、幾つかのネット古書市場で根強い人気を保っているようだ。廣島は1991年には当時存在していたパソコン通信のマスターネットの「書籍」の掲示板に以下のように書き込んだ。

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Article 1394 of 1419 on BOOKS
[    40]  発信者:ABC162 日付: 91/02/11 時刻: 18:08.
コード:KJ 47 行 2122 バイト
表 題:日本にもうカネはない

広島です。

 先程、真野輝彦著 「日本にもうカネはない 1億2千万人の金満幻想」を一気に
読み終わりました。

 もう紹介されているのかな?紹介されていたなら、御免なさい。だが、そうだった
としても、2度3度紹介されるに値する本です。絶対のお薦め、と思います。

表題:「日本にもうカネはない 1億2千万人の金満幻想」
著者:真野輝彦
発行所:ネスコ(日本映像出版社)
発行年月日:1990.11.24
ISBN:4-89036-807-8
価格:1500円(消費税込み。本体1456円)

 誰もが思っている、「何となくカネが世間にありあまっているな〜。」と言う気分、だが、ちょっと冷静になって見てみれば、芳しくない自分たちの生活水準。それが何故なのかを極めて簡明に解説しております。また、処方も簡潔明瞭、経済水準で何をしたら良いのか、を解説しております。


「では、120兆円もの金はどこに流れたか。…土地ころがしのほうに回った。土地への投資も一種の生産活動かもしれない、とみんな思った訳だ。…当人にとっては立派な投資活動かも知れない。しかし、実際には土地を材料にしてのババ抜きゲームを始めたのだった。」
「…海外旅行に行ってブランド品を国内より安く買った人達は、なぜ日本では安く買えないのかと疑問を持つどころか、ああ、自分だけは安く買えた、私は金持ちで海外旅行できるからそういう特権があるんだ、と自己満足している。これは、日本人の民度の問題である。…」

 こういう一節を読むと、「醜い日本人」(著者名を忘れました。ゴメンナサイ)の話を思い出します。そこでも、日本人は移住先の南米諸国で同胞同士助け合うどころか、お互いがお互いよりも先んじる事、そして結果として日本人全体としては惨めな状態に陥る事にいそしみ、「故郷に錦を飾る」にあたって、少しでも沢山の金を”故郷”に落とす事で人生を使い果たしている憐れな姿が描かれておりました。
 同胞相克とでも言うべき心理は実に日本人に顕著なのでしょうか。


「…今後の日本が本当の意味で豊かになれるかどうかは、この430兆円をいかに使うかにかかっているのである。単に国内の地価高騰を招いただけというのでは、日本は再び発展途上国に逆戻りするだろう。この10年は日本にとって最後のチャンスなのである。」
 と言う、本書の締めくくりは、僕にとってあまりにリアル過ぎるものでした。


ABC162 広島

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 本書の価値は2009年の現在、全く落ちていないどころか、その慧眼はいや増すばかりである。筆者は19年後の今も経済評論や教育で活躍中のようだが、当然であろう。帯に書かれた引きの文句(これは古書では失われやすい)も含めて、全てが未だに適切である。帯に曰く、

○ 日本は赤字国家である
○ ジャパンマネーに見捨てられた日本列島
○ 深刻なインフレが進行している
○ 円の国際化をはかれ
○ 日本はまだ後進国だ
○ 真に豊かな日本をどう築くか

 筆者の主張は、再読しても明瞭である。日本人が生産したお金は、単なる土地転がしで国内の土地の値段を相互につり上げる婆抜きゲーム及び日本人を利する所が誠に乏しい海外投資に回っているだけである。これらのカネの本当の使い道は、真に日本人の生活を豊かにするための国内投資や、円による国際通貨システムを作る等にあるはずだ、と言うものである。本書の読まれ方に誤認が生ずるならば、それは読み手にリアリティが不足しているからだ。

 馬鹿げた事に、筆者が警告した愚かな道を日本は歩んだ。そればかりか、今般の経済危機に至ってもまだアメリカにカネを貢ぎ続けて己の高い地位を保とうとか、カネをせびりに来た老婆を持ち上げようと言う裏切り者たちがうろつく始末である。馬鹿を19年続けていよいよ本当に素寒貧になる瀬戸際に、日本は来ている。

 今からでも遅くないから、全て意識のある人々は古書市場から本書を買って読むべきであろう。と言うよりも、出版社におかれては、本書を再出版されんことを。

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健康と疾病について やらんでも良いこと やるべきこと


仏暦2552年03月08日 日曜日

 我が子が今週始め突然発熱、最初は軽くて水曜日には一度学校に行ったのですがその夕方また熱が出て、結局38.5度まで上がり、木曜日と金曜日は当然休み。金曜日になって熱は下がってきたのですが鼻づまりが酷く、金曜日の夜に

「人生最大の危機」

といきなり宣う。鼻が完全に詰まったと言うのです。これはいけない! 常備している点鼻薬(※廣島は数年前まで慢性副鼻腔炎が酷く、今でも手元に点鼻薬を置いておいて、たまに使っています)が7才以上が適用だったので生まれて始めて使ってみたらば著効を現し、鼻をすっきりかんでまずは危機を脱しました。前の晩も鼻が通らずに苦しくて良く寝ていなかったようなので、さっさと使えば良かった。可愛そうなことをしました。(-_-;)

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 それにしても、例によって近所のクリニックの仕事ぶりには落胆させられます。

 抗生物質であるクラリシッドと鼻と咳の薬を処方してくれたのですが、鼻は物の見事に完全に詰まってしまいました。彼の言い分によれば、内科医は耳鼻科と違って点鼻薬等は出さないし、鼻の様子は見ないのだそうな。専門医制度そのものがどうかしている、と言う事のように思えます。

 熱の方だって、一体この発熱がウィルス性のものか、細菌性のものか、見当すらついていません。世界的に見れば”風邪”つまりウィルス性の感冒で抗生物質を出すのは日本だけだと言う事のようですが、これは言葉の論理の話。と言うのは、

「ウィルス性の感冒であると診断がついていれば、抗生物質は合併症がない限り出さない」

のは当然でこれは多分日本の医師たちも知ってはいるのでしょうが、そもそも

「ウィルス性の感冒であるかどうかの診断を日本の医師たちはやらない はたまたやれない。」

としか見えない。だから、

「自分の判断能力の低さと言うリスクに対処するために抗生物質を出す」

と言う事になります。リスク・マネジメントの方向が違う〜!

 逆に、先進諸国の医師たちは”所謂風邪”をどこまできちんと診断できるのでしょうか? 日本の医師たちの診断能力が実は低い、と言う事になったらば目も当てられませんが、その研究はきちんと行われているのかな? 特に、内科医の場合は大抵の場合は特別の手技がある訳でもなし、診断が全てではありませんか。

 所謂風邪、もきちんと原因の菌またはウィルスによって彼ら先進国の平均的医師たちは診断できるのであるならば、日本の医師たちはやるべきことをやらず、やらんでも良い抗生物質の乱発をやっている、と言う事になります。

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 一体、医者がいないいないと言うのだが、よくよく見れば、町中にはなんたら医院、なんたらクリニックと言うのが沢山あります。これらの開業医は、どう見ても病院よりも能力が低く、実はさしたる機能を果たしていない。手に負えなくなると、さっさと紹介状を書いて病院に回してしまいます。

 廣島の経験からして、開業医が病院よりも優れていたのは、ここ数年かかっているあきる野市のO耳鼻咽喉科しかありません。逆にとんでも開業医は幾らでもいるもので、例えば南京虫の吸い跡を帯状疱疹と断定して止まなかった皮膚科開業医なんてのもいました。(-_-;)

 漫画に描かれるスーパーな医師が孤軍奮闘する、なんてのは単なるおとぎ話。専門化と分業が進まざるを得ない現代、開業医が増えれば増える程、病院はますます死ぬほど仕事をしなければならなくなるようです。

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 今回の発熱に限ったことではないのですが、小学校の疾病予防体制の酷さには最早怒り爆発寸前であります。

 今回、我が子のクラスは実に36名中14名までダウンしました。これで学級閉鎖にならないの? こうなるまで、一体養護の先生と校長先生は何をやっていたの?

 だが、もっと別の問題がそもそもあります。このクラスだけがこうも欠席が多い。どうして? どうも前の週にある子が真っ先に休み始めたのですが、その子がその週に給食当番だったと言うのです。しかも、先生の指導がいい加減でマスクや給食係の服を着用しないのはしょっちゅうらしい。当然その子から蔓延した事を疑うべきです。指導がちゃんとしていないと、くしゃみをした机の上におたまを置いてしまう、なんてのもアリになる。とは言え、一人一人の責任がどうこうと言うべきものではない。小学生なんですから。何のために養護教諭が常駐しているんでしょうか?養護教諭がこの異常事態に対して動き出した形跡はありません。

 学校全体としての大きな問題として、手洗場に石鹸が十分常備されていない、と言うことがある。そんなに我が市の文教予算はケチっているのか? だが、一方では町内会とかPTAとかの要するに田舎の親睦団体活動は相変わらず漫然と良く分からない事を繰り返しており、こっちにも市のお金は降りています。そのお金がどうして石鹸代に回らないの? そう言えば、その町内会がやる夏祭りとかになる度に、校長先生は5000円程も寄付をしています。そもそもそんなお金を出していただくべきではないし、大体5000円で石鹸は優に100個は買えますよ。

 逆に、下らないことを学校は熱心にやらせています。予算の不足からでしょう、どうも学校はかなり暖房をケチっているようなのですが、そのような状況なのに何かというと窓を開けさせるらしい。これで風通しを良くして病原菌を散乱させようと言うのでしょうかね。単に室温が更に下がって、更に風邪を蔓延させるだけかも知れません。

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 でまぁ、鳥インフルエンザが突然変異を起こしてパンデミックしたらば…と言う脅迫がWHOからかかってくるので、日本中その”対策”とやらをあれこれやっています。だが考えてみれば、脅威となる病原体は未だに世の中に登場していない鳥インフルエンザばかりではない。鳥インフルエンザ対策なるものを見ると、

「鳥インフルエンザウィルスに対して”しか”効果のない大規模施策が延々と行われている」

過ぎたるは及ばざるが如し。危機対処と言うのをやりすぎるのは無駄。特に、細菌なりウィルスに対してはどの種に対しても共通する対策があります。うがいとか手洗いとかマスクを徹底する、部屋を清潔にする事はあらゆる疾病対策として最重要。

 そう言えば、先般航空気象研究会に参加するために気象庁に行ってきたのですが、ここのお手洗いには水飲み場のような形でうがい液を出す装置が備え付けられていました。勿論、手洗いの石鹸もしっかり。

 ここまででなくても、駅や公園でうがいも出来る水飲み場が普通にあるのは、とても重要だと思えます。だが、昨今、この手の水飲み場が消滅すること誠に甚だしい。特に酷いのがJR東日本。お金を取って砂糖水を飲ませようと言う魂胆でしょうが、そもそもあの手の水飲み場はうがいをする場でもあったのです。

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 公衆衛生は、決して医療の分野ではありません。医療とは危機対処なのであり、そもそも危機を防ぐこととイコールではありません。公衆衛生≡医療とか、公衆衛生は医療担当者の仕事とかと考えてしまった瞬間、効果の薄い危機対処活動だけに特化したやり口を延々と続け、遂にはそこが利権化します。

 予防においては、栄養(※カロリーにあらず)も当然重要です。昨今の凄まじい経済の落ち込みで、近所のスーパーでの食品の売り上げは傍目にも落ち込んでいます。外食だって今の時代は贅沢な行為ではなく立派な食事の一つ。これまた明らかに皆さんの食事の量が減っています。おいしい、の基準を自ら変える事も必要でしょう。”新おいしい”によって必要な栄養を充足するようにしなければなりません。

 そもそも食材の価格が高すぎないか?とも思います。贅沢品ではなく、基礎的な栄養を担う食材の値段が高すぎるのではないかと思われます。

 かたや、ストレスは免疫を低下させるのは今や常識ですが、ストレス低減をどうするかもどうも正鵠を得ている感じがしません。至る所に非合理が満ちており、それがストレス水準を否が応でも上げている。自殺すら年4万人に向けて上昇を始めている始末。

          †

 腹立ち紛れ(^_^;)に、ついでにもう一つ。

 廣島の勤務先で鳥インフルエンザ対策の医療担当者向けパンフレットが完成し、回覧に回ってきたのですが、この中に

「適切でないリスクコミュニケーション」

と言うページがある。リスクコミュニケーションの定義からして一見して明らかに完全にどうかしているタイトル。果たせるかな、そのタイトルが意味するのは、

「不安を煽るような発言は止める」

と言うようなこと。

「リスクに対処するためにステーク・ホルダーが共に考え、共にリスクの大きさについて合意に至り、共に対策する、共に対策の水準や方法を決定する、と言う本来のリスクコミュニケーションの意味」

から完全に外れており、およそ時代遅れの”科学的説得”とかの水準に堕しています。

 あ〜、やれやれ。(-_-;)

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何もしない人たち

仏暦2552年03月03日 火曜日

 廣島は職場でペットを飼っています。と言っても、職場の片隅に置いてある蘭(デンドロビューム)に巣くっているごく小さな蟻のこと。どうやら蘭から浸み出る液だけで生きているらしい。戯れにお菓子の屑等を置いても見向きもしません。

 彼女たちの存在は慎ましいもので、本当に2、3匹しかいないのです。元々自宅ベランダで育てていた蘭をマンションの大修繕でベランダが使えなくなると言うので昨年末に持ち込んだものですから、まぁどこぞから迷い込んだのがくっついてきた…と言う状態だと思っていました。ところが不思議なことに、この2、3匹がいつまで経っても死なない。持ち込んでから4カ月は経過したのに。働き蟻と言うのはこんなに長生きなのか?

 さて例によって蘭に週1回程、お茶飲みカップ一杯分だけ水を与えていました。花も咲いてそろそろ水も必要になってきたようなので、先日カップ2杯分の水を満遍なく土代わりの水苔に回してみたのです。と、何たる事でありましょうか。その水苔から20匹以上の蟻たちがぞろぞろと出現したではあ〜りませんか。この蘭の水苔の中に、彼らは立派に巣を作っていたのです。いつも外で活動していたのはその1割にも満たない連中だったようです。つまり、

「蟻の圧倒的多数は普段はこれと言う働きをしていない」

ようなのです。巣の中から飛び出してきた蟻たちは、屋外で旺盛に繁殖している蟻の巣を壊した時に見られるように、幼虫や卵を持ち出すと言う事をしていませんでした。彼女らが少なくとも強力な女王蟻を要している訳ではないのは明らかです。即ち、巣の中にあっても彼女らは大方ヒマな筈です。

 一体、9割以上になる大方の働き蟻たちの存在は何なのか? 

「エネルギーや資源の温存」

だと言う事なのでしょう。飛び出てきた彼女たちのために、廣島は煎餅の屑を与えてみました。かなり良い感じで彼女たちはその餌に食いつき、幾つかを巣の中に持ち込み、それが終わるとまた数匹だけが蘭の露を漁るためにいつも出ている、と言う普段の状態に戻っていったのです。

 このやり方は、餌や資源の量に極端な変動がある集団では適応的です。一見した所の怠けは、資源を温存しておくと言う重要な仕事です。

          †

 さて問題は、人間と言う存在、特に現代社会の人間はこのように受身的に資源を利用するのではないと言う事です。常に新しい領域を探求し、新しい事物を付け加え、社会を豊かにしていくと言う事こそが現代における働く、と言う事。これからは、自然環境を豊かにする、と言う事が仕事として加わります。受身的に”働く”人たちは怠け者としか言い様がなくなります。

 恐慌が襲いかかって来ていますが、どうやら明らかになりつつあることは、日本が特に悲惨な状況になるようだ、と言う事でしょうか。実は

「日本は”働いていない人々”を物凄く沢山抱え込んでいる」

からこその恐慌だと考えるべきです。

 と言うのは、お金やGDPは確かに幸福の尺度ではないのですが、人と人の相互依存の緩やかな物差しではあります。だから、GDPが減少するとかお金が減少する―今回の恐慌で向こう数年間に日本は30%以上のGDPを失う可能性があります―は、人と人との助け合いが弱まる事を意味します。

 例えば、誰もロクに使わない田舎の道路をこさえる人々、狭い田んぼやら都市の粗雑な駐車場やらにしがみついている人々、これまた誰の役にも立っていない団体に天下る人々等が働いていないと見なされつつあります。これらの人たちはお金を社会から吸い取ることにより、お互いの信頼やきずなを食い潰すだけだからです。このような人々にお金を渡してもGDPは減るばかりで増えません。よって世の中の幸福も減少します。

 即ち、”働いていることとは何か”の考察をもっともっと深める必要があります。”働いたことになるようする”ためにはどうしたら良いのか、と言う事を考える必要があります。

 例えば、医療だってその大部分が働いていない人々によって占められつつあります。それは例えば、老人を”治療する”とそこに投入された医療の労働は実は働いていないと言う事になるのです。と言うのは、極端に言えばある老人を治療したことにより、その老人がその後その治療費に見合った分の働き―別に銭稼ぎに限定されなくても―を世の中にしてくれるのか、と言うこと。

 治療とかましてや救急医療と言うのは非常に”投資を回収しづらい”行為です。ですから、別に老人と言うことに限定されなくても、第1に疾病や負傷は予防されるべきであり、次第に心身の困難が増える老人はエンパワーメントされるべきであるのです。

「何でもかんでも治療と言う危機対処で対応しようとするから、医療従事者は”働いた”ことにならず、医療は必然的に崩壊する」

のであります。つまり、今や

「働くと言うことはlaborと言うべきではなく、社会的にfunctionしているかどうかから評価されるべき」

と言うこと。

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