異なれる視点なき作家
仏暦2551年11月20日 木曜日
石田衣良と言う男性作家がいます。どうして”男性”と殊更につけたかと言うと、廣島は仕事を始めてから暫くの間少女漫画家大島弓子の作品群に没入していた時期があり、その中の作品の一つ「バナナブレッドのプディング」のヒロインの名前が「石田衣良」だからであります。つまり、廣島にとって”良衣”と言うのは女性の名前なのであります。
さて、随分旧聞に属してしまいますが、リクルート社が散まいている所謂無料雑誌に「R25」と言う週刊誌があります。どうやら、若い正社員男性ビジネスマンと言う今や殆どエリート階級の人々を読者として想定しているようなのですが、実際に取って持っていく人を駅で観察していると、廣島を含めた中年男性、首切りにあってから年月久しいと思しき初老男性、挙げ句は女性等々多様です。女性には同様の雑誌として「L25」と言うのもあるのですがね。なお、流石に通学途上の小中高校生は持っていきません。
閑話休題。
この雑誌の巻末にその石田衣良が「空は、今日も、青いか?」と題する連載コラムを記しており、2008年10月30日214号の第90回コラムはいささか興味深い内容でした。「市場は悪か?」と言うサブタイトルで、例によっての昨今のアメリカ金融市場の大崩壊を論じています。で、このコラム、昨今の用語を使えば、突っ込みどころ満載であります。それは、
「たまたま上手く行った奴らの銭儲けの論理で世の人々がこんなに苦しみ、かつ民族の未来が危うくなって良いのか?」
と言う観点からの突っ込みになります。
石田はまず冒頭、そもそもサブプライム問題と言うのは年収2〜3万$の平均的アメリカ市民にほぼ無審査でローンを組み、足りない分は将来家を売った際の値上がり益で埋めようと言うとんでもない代物だったと断じます。
そこには、そもそもどうして平均的アメリカ人の年収が2万ドルつまり日本円では2、300万円そこそこに落ちてしまったのか、それは強欲な資本家や経営者の凄まじいピンハネによるものではないのか、倫理を破壊して人々をモノ買い狂いにしてしまったのではないのか、と言う反省がありません。家を持たなかった場合には借家になるが、その場合の地主によって行われるであろう凄まじい搾取が問題ではないのか、と言う観点もありません。
次に、彼は株式市場の暴落が連日トップニュースになるなんて30年近く市場を見続けている僕にも初めての体験だった、とのたまいます。
1960年生まれの彼の30年前は18歳ですから、実に大学生の時からこのような世界に興味と関心があった訳です。2歳年長の廣島が大学教養部の知識以上に資本主義の本体や挙動、延いては株式市場の動向に関心を持つようになったのはバブル崩壊後からですから、ついぞ15年程前ですぞ。マトモに働いている人間にとって、つい何年か前までは株式と言うのは文字どおり博打の世界に過ぎなかった事を、日本経済新聞は株屋の新聞と些か蔑まれていたことを、皆さんお忘れか?
更に彼は言います。外国人投資家は現金を手元に残すためにパニック売りをしているが、日本の金融機関はサブプライム危機の損害は軽微で、失われた10年でどの企業も筋肉質の高収益構造に変化している、内部留保も以前とは比較にならないほど厚い、と。
でまぁ、その厚い内部留保と筋肉質の企業構造を形成するためにどれだけの人々が首を切られ、不安定で低収入なフリーターやハケンに貶められ、教育水準や医療水準は低下し、どれだけの人間が自殺を選ばなければならなくなったのか、その結果長期的にはご自慢の日本企業の未来は今やブラジル企業にさえ脅かされ真っ暗であるのではないか、と言った反省はどこにも記されていません。
おまけに、円は世界中の通貨に対して値上がりを続けていて世界が円を最終的な待避所に選んでいる、海外から見れば為替の差益と値上がり益を二重に狙える、と言います。
そもそも現在のこの奔流の中、資本の移動状況についてのデータの提示は変化に追いついていません。本当に日本に資本が雪崩れ込んでいるのか?それだったらば株価は手堅く上がり続けている筈です。そうではない以上、それはREITのような不動産関係か国債に行くしかない。だが、不動産関連に金が雪崩れ込んでいないのはこれまた明らかです。国債についてはまだデータがありませんから、まぁこれは可能性がある。だが、少なくとも石田が言うように日本の企業が手堅いから日本の企業にお金が回ってきていると言う論理は成立しそうにもありません。大体、円が上昇基調で日本の株が下落基調の際に日本の株に海外から投資をする事は可能性としては損得どちらにも大きく振れるものです。寧ろ、単に黙って現地通貨か黄金で保有すれば宜しい。おまけに、外国投資家は現金を手元に残そうとしている、つまり振れ幅としてのリスクを小さくしようとしている…と先程自ら述べたばかり。石田の判断は支離滅裂です。
駄目押しに石田は、パソコンでも自動車でもミサイルでも、人類は一度手にした便利な技術を手放した事はなく、それは市場も同じだ、市場を忌避するのではなくもっと勉強しよう、と結びます。
とっても便利な兵器であるクラスター爆弾は先般禁止条約が成立して我が国も締結しました。これまた素敵な兵器である毒ガスを使うのは止めようと言う事になったのも随分前からですし、究極の恫喝装置である核兵器はそれを使った瞬間使った国が世界中から村八分になるものと見做されています。どんな技術も所詮は道具であり、様々な観点からヨクヨク熟慮し、少しづつ慎重に使っていくべきです。その中で、金融市場と言う道具がかなり”危ない”代物だと言う事は、1928年と2008年と二度に亘る恐慌(※まぁ2008年恐慌の酷さはアメリカ$の信用喪失と言う形でこれからが本番ですが)で人類は身に染みたのではないでしょうか?世界大戦も2回もやれば流石に懲りたと言うものです。つまり、石田の観点は一見中立ですが、市場と言う道具に対して随分甘すぎるように思われます。
文学と言うのは行間を読むのが重要である、とされます。成る程、作家の書く文章は違う。以上のように行間を補足すると、一体この作家なる人物は本来の作家、つまり物語の力によって世の中や自己を別の観点から照射する人なのか、と言う根本的な疑問が沸かざるを得ないのです。
そう言えば、大島弓子さんの「バナナブレッドのプディング」のヒロイン石田衣良ちゃんは”イライラの衣良”状態にあるとして冒頭に描かれるのですが、それは心理的にべったりと依存している姉が結婚を間近に控えているからなのでした。分離不安と言う症状です。作家の衣良氏の方は、どうも市場やお金を道具として使うと言うのではなく、それらに依存しているようにすら見えます。依存している自分を別の観点から照射すると随分良い私小説が書けると思われますので、是非。
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