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日本応用心理学会第75回大会に参加してのメモランダム

仏暦2551年10月02日 木曜日

 過ぐる9月14〜15日に横浜国立大学にて開催された日本応用心理学会第75回大会に参加。ちょいと発表なぞもしましたが、横浜国立大学と途中経路だった新横浜駅付近の印象、それに今大会の目玉講演者と言うべき村上陽一郎氏と畑中陽太郎氏の話のポイントその他なぞを少々。

○ 村上陽一郎
 自分が安全に関わるようになった1980年代半ばは安全を問題にする事そのものを憚る雰囲気があった。例:処理済み核燃料輸送船あかつき丸に非常時対処マニュアルが存在した事を新聞が取り上げ、マニュアル存在→不安全、と言う論調で切り捨てた。

 科学技術基本計画において「安全安心で質の高い生活の出来る国」を掲げた。これに「安全が誇りとなる国・世界一安全な国日本の実現」が加えられた。

 医療界の安全の契機となった本To err is Human。だが、日本では遅々として何も進んでいない。医師でリスク・マネジメントが出来る人は今でも希。日本医療機能評価機構がようやっとできた。ADR(Alternative Dispute Resolution:訴訟前調停者)は日本では出来そうもない。

 原理的問題:文明化が進めばリスクは増える(※これはBeckの危険社会論と同じ)/Act of God(不可抗力)が減る(人間が何でも出来ることは出来るので、従来はリスクにならなかった事がリスク化する)/個人機能の外化・社会化
 安全≠安心。安心は、距離に反比例・時間の経過に反比例・心理的距離に反比例
 専門家・非専門家の間の乖離にたいして、かつてはPASまたはPUSで対処しようとしたが、挫折。PTAなどリスクコミュニケーションに移行、多くのステーク・ホルダーに初期から参画を求めた。これにより、開発側・反対側両方に意識の変革が生じた。

※ 不可抗力が減る→リスクが増える、と言うのはまさに原理的な問題。そこに実は人間の欲望が入り込む。権力者は古来不老不死を本気で求める傾向があるが、様々なことが出来るようになったと言う個人的な認識がによる錯誤。実際には権力によってリソースを集める事が出来るようになったに過ぎないのに、本質的に不可能が可能になったと感じてしまっていたのである。昨今の錯誤では、逆に技術的に可能な事が多くなっているが、それを実現するためのリソースを現実にどう集めるのか、が問題になる事が多いようだ。例えば、臓器移植手術が出来る、出来ると言うが、それを行うためにはしばしば数千万円から1億円のお金がかかるし、他の人が死ぬことが必要になってしまう。もっと重要な事は、それが可能になったとしても得られるメリットはどの程度なのか、が大抵はまるで考慮されていない。考慮していないから欲望なのであるが。
  結局は、今やリスク・マネジメントは全体として「人はどう生きるべきか・どう生きることが幸福なのか」と言う話に帰着してしまう。村上氏の主張は簡明で、その中で安全と言う事は高い位置に来るべき価値だ、と言うことである。廣島も基本的にはそう思う。安全な社会は、実は創造的なことが沢山出来る社会なのである。とは言え、世の中には興奮させられる欲望や一度頭の中に擦り込まれたきらびやかな欲望を満たすことだけを考えている人がごまんといるのであり、その中で特定の人が黙々と安全社会の構築に勤しんだ場合、それらの人々は”社会の底辺を黙々と支える鈍臭い連中”として使い捨てにされかねない。


○ 畑中洋太郎
 極めて理知的でデータベースはどう使われるか、どうしたらば使ってもらえるか、の話。ごく認知心理学的・認知工学的な話。このプロジェクトは、中曾根元総理から日本を救う方法だと言われて失敗データベースを始め、数年で10億円の予算を使わせて貰った、との由。
 話題提供者の村上史朗氏は心理学者なので、畑中の話を科学の用語で解説することが主体。
 次の時間帯が廣島のポスター発表だったので、途中で退席し、最後の総合ディスカッションは聞けなかった。

※ 廣島の最も関心がある所は、とにかく考えない人々をどう考えさせるのか・これは失敗だったと認識出来ない人にどうやってそれが失敗なのかを認識させるのか、にあるのだが、畑中氏が自ら明瞭に述べたように、失敗データベースは前向きに世の中を作っていこうとする技術者等を支援するシステムである。
  よって、このシステムは他人の労働のピンハネに胡座をかいて怠惰と無能に陥った人を再開発するシステムではない。これでは良く働いている人はますますこき使われるだけ、と言う印象。

 と言う訳で、両先生の話を聞いても廣島が考える事の先は、

「ピンハネに胡座をかいて欲望を肥大させ続ける人間がかなりいる限り、いずれの先生の努力も食い物にされるだけではないのか?」

と言う疑念であった。働く人間が、

「お前ら、でかい面したり文句ばかり言っていないで自分で働け!」

と叫び出さない限り、日本の問題は何も解決せず、苦しみばかりが積み重なって行くのではないのか。


○ 興味深い研究
  応用心理学会は一時期は老大家ばかりが歩いている学会だったが、昨今は若手研究者への助成制度なども整い会員も1100名に増え、楽しくなってきた。非常に様々な応用領域の話が一度に見聞できるコンパクトでお買い得な学会となったと言える。勿論、唐変木・廣島はそのバラエティの一翼を担っていると言う訳だ。

  その中で、今年の発表では高橋・高橋の「感染症流行時の心理反応に関する研究・1」に注目。SARS流行の際の北京の状況を現地研究者の文献から再構築したもの。爾後発表者も訪中した由。救急病院まで直通する道路をいきなり作ってしまったとか、SARS対処要領を電話相談するために北京大学等の大学生を急遽育成した話とかが興味深かったが、どうも発表者と話をしてみると今一つ歯切れが悪い。散々突っ込んで伺った所、

「これから国力どころか知力を落としていく日本が5年後10年後にパンデミックに襲われた場合、中国よりも良く対処出来るとは思えない」

と言うあたりを心配されているのが分かった。なるほど、これは慧眼である。これから間違いなく日本は経済力を落としていくのは当然として、そもそもその根幹となる知力が落ちていくのであるから、知力低下パラメータを前提として危機状態にどうなりそうか・何ができそうかを予測・判断していかなければならないのである。


○ 横浜国立大学近傍状況
 と言っても、横浜市営地下鉄三ツ沢上町駅から正門→教育学部あたりだけの印象。

 既に若干は紹介したとおり、付近はかなり茫漠たるもので工業地帯とも商業地帯とも住宅地帯とも言い難い。国道1号線沿いに大学に至る一帯であるので索漠たるものではあるが、交通量は存外少ない。まぁ、大体日本の都市なんぞ都市計画もなく、市街地規制も事実上何も働いていないのであるから、こういうスプロールが延々と続く。それにしても、このあたりは国道1号線の両側が緩く丘陵になっているので、かつては自動車の排気ガスは誠に激甚であっただろうと思われる。大学に至る迄巨大横断歩道橋が2か所もあるのは今どきとしては珍しい。

 と言う訳で、大学に至る迄にこれと言う店もない。コンビニすらない。大体、大学と言うのは門前に書店と古書店とコーヒー店などなどを従えている…と言うのが老廃棄物・廣島のイメージなのだが、何もない。大体、人通りすら誠に少ない。1日目になにやら工事をしていた所が2日目にはラーメン屋が開業していたのが、ビッグニュースに思える。このイメージはどこかで経験がある…と思ったらば、沖縄県那覇市の国際通りからやや南下したあたりを散歩した時とそっくり。地形まで似ている。

 途中、溝としか言いようがない小さな川(何しろ、水が流れていなかった)と接するあたりに小さな公園があった。溝から南側直ぐに崖が立ち上がっているから、日当たりも宜しくない。ここで1日目の夕方に少々休み、空腹になるだろうと思って買っておいたパンをかじったのだが、付近の藪の中から子猫がぞろぞろと4匹も出てきた。パンを千切って投げてみたらば、中の1匹だけが良く食べた。猫もパンを食べるのだ!それにしても、ここはヤブカが多い。藪と水を整理せずに下手に緑地帯を気取っているものだから、ファイトテルマータを始め小さな水たまりが多く出来ているのだろう。これらが連中を繁茂させている。日本でも熱帯マラリアの流行の可能性が指摘されている。かなり必死でヤブカ対策をすべき時代が来るだろう。

 そう言えば、我がかみさんは昨今いよいよ熱心に都心近くの一戸建てを欲しがっているのだが、一戸建ては周辺環境がちょっとこういう具合だとヤブ蚊の攻撃を受けるのは必至。先日、久しぶりにマンション高層階にある我が家のベランダにゴキブリ成虫君が飛来して大騒ぎをしてくれたのだが、この手のペスト攻撃に耐えることが出来ると思っているのかしらん?

 閑話休題。

 スプロールと言えば、千葉県東金市の駅の東で5歳女児が殺害されたが、Google Earthや地図で見てみればここもまた商業地帯なのか住宅街なのかビジネス街なのか訳の分からない、空き地もかなり多いごった煮地帯である。スプロール地帯は出入りする人間もスプロールする訳だから、”住民の目”なぞも届きにくいと言うものではないか。ごたまぜのバラック街を日本は作ってしまったのだ。苦労なことである。


○ 横浜国立大学印象
 で、その横浜国立大学であるが、丘陵の上に広がる緑豊かなキャンパスである。とは言え、どうも植生も昆虫のファウナも単調でさして面白みもない。植生が充実しているかどうかは、樹木等に付着している蘚苔ツノゴケ類や地衣類を見れば分かるのだが、国道1号線の排気ガスの影響もあるのだろう、ほとんど見ない。

 何しろ廣島もいい加減年であるから、駅から正門まで徒歩16分、そこから丘を超え行こうよ〜で数分の行程を夏に行くのは結構堪えた。大部分の先生は横浜駅からバスで乗りつけたようだし、お金や相乗りの仲間のある先生はタクシーで往復していたようだ。

 加えて、学生が殆ど歩いていない。大学と言うのは大体8、9月は夏休みなのだが、夏休みの間も研究と教育は絶えることなく続き、しかも学生はカネがないから図書館だのクラブ棟だのに漫然と入り浸り、かくして学生と教職員の出入りがかなりある…と言うのが老古紙・廣島のイメージなのであるが、ここではそんな姿はない。学生と教員のレベルが低いから夏休みは何もしていないのか?ここは天下の国立大学ではないか。どうもこの大学は学生にとっても教職員にとっても”明白な目的があるから通勤するところ”であり、取り敢えず行くとか、何となく行くような所ではないらしい。自分が変化する、と言うのは、何となくやってみて気に入ったとか言うことが随分きっかけになるものだと思うのだが。そう言えば、先日廣島の勤務先に入って2年目の新人君がさっさと辞めて行ったが、ここの卒業生だった。その転職先が本来希望していた所だったそうで、彼は”立派な目的をもって”廣島の勤務先に腰掛けをしていた訳だ。腰かけも、立派に”目的をもって、そしてそのためだけに行く”べきところであるのは、この大学キャンパスと同じである。

 周辺はこのような具合で、当然学生食堂も休み。となれば、昼食は弁当しかない。学会大会事務局は、空前のことであろう、弁当無料配布と言う”暴挙”に出たのである、それも2日間連続で。学会大会参加費がお得に思えたのは始めてだ。2日目は午前のセッションから引き続いて廣島はしつこく質問等をして遅くなり、配布弁当が品切れになってしまった。同様の参加者数名が直ぐには食事にありつけなかったのだから、やはりこれは暴挙である。だがまぁ、補充され慌てて掻き込んだ弁当にはエビフライが4匹も入っていたのだから、良しとしよう。(自爆)


○ 新横浜駅周辺印象
 2日間往復共に横浜線新横浜駅経由。少々新横浜駅に馴染みが出来た。

 新横浜駅は端的に言ってちょっとしたバブル状態だった。JR東海が自前の駅である品川と新横浜を首都圏の出入り口とする企業戦略を取っているため、新横浜駅周辺にはきらびやかなビルが立ち並び、駅前ペデストリアンも建設中。

 お陰で、安く食事を取れるところが誠に少ない。駅ビルの上の階なぞは、2000円からのスタートで、青天井ではないかと思える程。

 結局、1日目は駅ビルの中でビールとちびいカツライス合わせて1500円で妥協せざるを得なかった。2日目はアリーナ近くのサイゼリアでワイン付きで1000円で済んだ。だが、店内は高校生の集団がいくつも入り、煩いのなんの。入り口のドアには勉強のための入店禁止とか張り紙が出ているが、なに勉強だかおしゃべりだか分からないことを延々とやっているのである。店員もこちらは煩いので、と言って道路沿いのカウンター席に案内してくれた。

 この駅のバブル状態の一つのエピソードが、駅ビルに入っている三省堂の文具店。ほんのちょっぴりの文具がおしゃれに並んでいる。これでは採算が取れるハズもないのだが、将来を当て込んでいるのだろう。日本経済の再クラッシュも近いようだし、このバブルの消滅も直ぐであろう。

 横浜線は相変わらず目茶苦茶な込み具合である。プラットホームの関係から8両編成が最長らしいのだが、明らかに不足で10両編成をより多く走らせるべし。何しろ、いつ行ってもこの路線は朝のラッシュのように込む。それにしても人の流れを見ていると、町田を過ぎても横浜からの乗客が降りていく。明らかに八王子や町田と横浜の商圏や通勤通学圏の関係は横浜の圧勝。石原君は多摩地区に誠に冷たいのだから、いっそ八王子、昭島、福生あたりは全部神奈川県に編入したらばどうだろうか?

 と言う訳で、久しぶりの学会はおしまい。学術的な水準は当然ながら確実に上がっていくのに、それを生かすべき現実の世の中はどんどんぶっ壊れていっているのがシュールであり、落胆させられることだ。

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