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子安貝化するアメリカドル

仏暦2551年10月31日 金曜日

 凄まじい勢いでアメリカ合衆国の”なんちゃってマネー”、つまり実物の経済に裏打ちされていない貨幣、の世界が崩れて行っています。

 で、これはどうやら第1段階で、第2段階は所謂実体経済の悪化、第3段階はアメリカ$枢軸体制の破綻となるのでしょう。先般記したように、取り敢えず生じている現象は驚くべきことに、$の日本円以外の貨幣に対する高騰だったりします。第1段階と第2、3段階は別物であると認識しなければなりません。そして、第2、第3段階は次にまた金融崩壊を招きますので、何度かこのハードなスパイラルを回らざるを得ないでしょう。

 この過程でアメリカ$の暴落、つまりアメリカ$に対する過剰な信用の崩壊が生じざるを得ないでしょう。アメリカ人がマジメに働いてせっせと借金を返す生活に戻る積もりもなさそうだからです。

 その経路はどうなるのでしょうか? 貨幣の歴史は偽札を含めて多様で複雑なのですが、アメリカ$の末期の行方として参考になりそうなのは、子安貝かも知れません。勿論、その他の幾つもの歴史が$と日本の未来を予測させます。

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 子安貝または宝貝は既に殷や周において装飾品乃至は貨幣として使われていたようです。カール・ポランニィの研究で名高いようにアフリカでも使われていたし、アラブ地域でも流通していたようです。で、一体この”貨幣”は最後にはどうなったのか、どうもあまりまとまった研究が見当たりません。少なくとも、今日子安貝が貨幣として通用する地域は存在しません。

 だが、貨幣としての子安貝の末路は容易に想像することができます。全ての貨幣は最後には激しいインフレによって消滅するもののようだからです。例えばローマの貨幣は悪質な貨幣を鋳造することを繰り返して最後を迎えました。日本の江戸時代にも、銀や金の量を少なくした改鋳が度々行われました。悪貨は良貨を駆逐する、とはこの事であります。子安貝は世界の熱帯から亜熱帯の海にのみ生息しますが、数は豊富です。流通が容易ではなかった時代ならともかく、時代が下るに連れてどんどん運べるようになって行ったでしょう。当然インフレが、つまり貨幣の価値の低下が生じる訳で、そこに欧州による世界制覇に伴ってそれらの通貨が流入し、いつしか最後を迎えたのであろうと思われます。

 実際、子安貝の”価格”について件のポランニィの書には、帝国主義時代のアフリカ南西海岸において子安貝1、2個が一握りのその場で食べられる食べ物、要するに現代日本の感覚で言えばハンバーガー一つとか饅頭一つとかで売られていたと言う記載があります。宝飾品として使われていた子安貝が歴史上結構多数ある事からすると、随分な安さ(※貨幣としての)です。例えば、現代において半オンス(〓g)程度の金貨を殊更にペンダントにすることもあるし、その程度の量の黄金を使った装飾品も沢山あります。2008年11月上旬の買い取り価格から見ると、半オンスと言うのは3万円近くになります。だが、百円硬貨を使ったペンダントなんて成立するでしょうか? そう考えると、帝国主義の時代であり次には欧米の貨幣が雪崩れ込んでくるであろう時代の南西アフリカにおける子安貝の価格(※くどいようですが、貨幣としての交換価値と言う事)の低さが伺えます。一つざっと100円とか50円とかと言う感じでしょうか。

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 さて、アメリカ$の運命です。今や世界にはアメリカ$が余りにも沢山溢れており、実際に物品サービスの交換の媒介に必要以上どころではない量が存在しています。激しいインフレ状態なのです。アメリカは自国民特に富裕層の贅沢と軍備にふんだんに$を使いまくって来ました。それが、アメリカの財政・貿易・企業・家計の赤字と言う事です。この状態は、大体1960年代から既に始まっており、随分以前からアメリカ$の価値は揺らぎ続けていました。既に1971年にアメリカ$は黄金との関連を自ら断ち切っており、その価格は非常に曖昧な”市場”に委ねられています。それが冒頭に記した$危機でした。若い人にとっては、自分の産まれる以前からアメリカ$と言うのは過剰生産が続いており、インフレが続いていたのであります。

 子安貝と同様、過剰に供給されたモノは当然その価格を下落させます。下落させないためには様々な詐欺や暴力すら必要となります。江戸時代の藩札は、藩の弁済能力つまりはお米を供出出来る能力によってその価値が担保されていました。ところが藩札が過剰に生産されるようになるや、要するに武士の武力をちらつかせることで何十年先分迄の借金すら行われ、ようやっと価値を維持し続けました。また、藩の事業を貸主に独占させる事で藩札の価値を維持させたことも広く行われたのでしょう。

 方や、アメリカ$は世界中で通用すると言う曖昧な合意によって価値が担保されています。言うことをきかないイケナイ国にはアメリカ軍が差し向けられます。これが、”$が機軸通貨だ”と言う事の一つの側面です。よって、この曖昧な合意なり漠然たる常識が失われ、アメリカ軍が対応能力を失った瞬間、雪崩のようにアメリカ$は価値を失います。

 これだけでは不足なので、アメリカは驚くべき方法でこの合意を継続させる手管を使って来ました。同時に、余剰な$をある”領域”に囲い込む事で激しいインフレになる事を防ぎました。それは、

「アメリカ$を”沢山”返してあげると言う約束の債券を乱発する」

と言う方法によって合意を”繰り延べ”し、債券と株の市場に$を集積し続ける事です。まず国債でこれをやりました。このやり方は現在も続いていますが、単純に国債を乱発したのでは流石に”信用”がなくなりました。

 そこで、強欲なアメリカ人はもっともらしい奇跡を起こして見せました。所謂ITバブルによってアメリカ企業を所有させる振りをしつつ、株式市場で”アメリカ$を沢山返して上げる”と言う奇跡を演出して見せたのです。クリントン大統領の時代はこれで凌ぎました。

 そして、次のブッシュ大統領の時代には住宅でこれをやった訳です。ついでに再び軍事力を派手に振り回してイケナイ国を成敗すると言う事もやりました。石油代金を$ではなくユーロで受けとる事にしたイラクに侵攻し、彼の国を目茶苦茶にしたのです。

 だが、アメリカそのものが贅沢三昧を止めない限り、やはり$の価値は長続きしません。

「子安貝を幾ら沢山くれると言っても、その供給量がどんどん増えれば子安貝の値段は限りなく下がるので、沢山くれると言う約束自体が意味がない」

のであります、アタリマエ。子安貝は、安直なセメントや肥料の原料程度には使えるものでしょう。だが、緑色の紙は焚き付け程度にしか使用価値はない。便所紙にすらなりませんな。

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 「アメリカ$を”沢山”返してあげると言う約束の債券を乱発する」方法は、別の意味でもお金の貸主を騙すものでした。現在の住宅サブプライム市場の崩壊に伴う返済不能の山と言うのは、

「アメリカとその他の国々」

をきちんと別けて考えると、

「”借りたお金、返せなくなっちゃいました〜”とうそぶいて借金を踏み倒し、世界中の貸主からお金をふんだくった」

と言うことなのですから。

 今、アメリカの企業はジェネラルモータースさえ倒れようとしています。GMさえ倒れた場合には、株式会社と言う組織の欺瞞性丸剥き出しで、世界から集めたお金が”なくなっちゃいました〜”と言うことになります。最初から倒産させる積もりで株式と言う紙切れだけを売りまくる行為は日本では法律で様々に規制されています。法律によって、経営者は”働かさせ”られます。だが、もっと上品にもっと大きな嘘をつくと、なかなか逮捕には至りません。

 同じような事は、住宅サブプライム問題でもやってくれています。先般ご紹介したトッテン氏が”カリフォルニアあたりのロクに水もなく、山火事であっと言う間に燃えるような住宅”と批判するような住宅にまで高値をつけて、それに対する債券をこま切れにしたものを世界中に売りまくっていたのがサブプライム問題、と言う事です。これも、”やっぱり値段がなくなっちゃいました〜”と空惚けて見せ、”我々もとても困っています”と尤もらしくしかめっ面をして見せている訳です。

 そのクセ、ダウは暴落と言っても半分とか10分の1とかになった訳でもなく、相変わらず随分高い水準を保っています。これは、どういう陰の操作が行われているのでしょうか? ぎりぎりまで吊り上げておいてお金を集め、いきなりストンと破産させてみせる。株に集めた世界のお金を、”返せなくなっちゃいました〜”と空惚けるための工作にだけは長けているようです。

 ちなみに、アメリカの金持ちにとっては借金を上手い具合に踏み倒せれば、アメリカの庶民がどれほど塗炭の苦しみに塗れようが知ったことではないことを、改めて強調しておきます。つまり、彼ら大金持ちたちはそうするべきだと思えば、アメリカ全体が大不況になっても、自分たちの銭勘定を優先させます。潰すことにした企業の株は、彼らはとっくに売り抜けて、アメリカの年金機構等が後生大事に抱え込んでいるのかも知れません。先般から指摘しているように”我々は一体ではない”のであり、それはアメリカでは日本よりも更に甚だしくそうなのです。

 さて、以上のような騙しの方法においては、そもそも安くなって行く子安貝そのものさえ決してお金の貸主には手渡されない事に注意すべきです。

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 かくして、

「アメリカ政府は、アメリカ国債そのものを踏み倒そうとしているのではないか」

と世界中の投資家等がかたずを飲んで見守っています。何しろ、つい10年か前にロシアがそれをやっちゃった前歴がありますからね。世界第2位の核大国がそれをやったならば、第1位がやらない筈もありますまい。ちなみに、この踏み倒しをやってくれた際、アメリカのLTCMが破綻し、アジア経済危機が発生した事をお忘れなく。

 借金踏み倒しをアメリカが決意した時に、同時に”$が機軸通貨である”世界が終了し、世界中、特に日本に更に強烈な損失が押しつけられ、世界中特に日本は更に恐ろしい不況に陥ります。何しろ、世界が、特に日本が後生大事にため込んだアメリカ国債始めアメリカ$絡みの資産と言う”あった筈のお金”が、なくなっちゃい、一気に資産状況が悪化する訳ですから。正に今起きている事は第1段階に過ぎません。日本程アメリカ$教の敬虔な信仰国はないので、目下日本円は急騰していますが、いざご本尊が倒れた時には凄まじいしっぺ返しが来ることになります。

 どうやら踏み倒しの決意はアメリカ共和党ではなく民主党のオバマ氏がやる事になるようです。勿論、アメリカ$がなくなっちゃった〜となったらば一番の被害者は下っぱのアメリカ国民になりますから、あらら、民主党はえんがちょ付けられちゃいます。1929年の世界恐慌の際にはフーバー大統領がロクな対策をやらなかった事から散々にこき下ろされ”フーバーモラトリアム”等と言われたようです。オバマ氏も実際上何もやれないでしょうから、ぼろかすに叩かれる事になります。民主党がオバマ大統領の時代に消滅しても不思議ではありません。ついでに、やっぱり黒人は駄目だ…と言う悪しき差別が復活しても不思議ではありません。

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 目立たないけれどもアメリカ$を更に子安貝化させる他の要因と言うのもあります。

「$を発行する権限は誰が持っているのだ?」

と言うことが非常に曖昧になっているからです。$を発行する権限を持っている人や組織が多数になれば、彼らは自らの目先の利益のために$をどんどん製造するでしょう。

 $を事実上発行する権限を散まく一つの方法は、信用創造です。昨今、あの投資家ソロス氏は”信用創造を含めて政府が管理する時代になるだろう”と言い始めている由。逆に言えば、信用創造と言うことはそもそも”貨幣を作り出す”事を政府以外が部分的にやっている事を意味しています。そして、アメリカがこの信用創造に対する規制が最も緩かったが故にかくも大量の”なんちゃって$”が生産されてしまったのでした。

 しかも、先般指摘したように、欧州と日本は多分自国の様々な資産を担保としてでしょうが、$により金融業などに対して$融資を協調して行っています。各国が他国の通貨である$を製造し始めたのとさして変わりはありません。

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 アメリカ$を更に子安貝化する他の要因として偽札を挙げても良いかも知れません。日本のお札を偽造する事はまず不可能でしょうが、アメリカ$紙幣はかなり容易だと言われ、偽札がかなり出回っていると言われています。さもありなん。

 その偽札作りの筆頭と目されているのが、先般当のアメリカからテロ国家の指定を解除された北朝鮮だったりします。これって、もっと偽札をばんばん造ってアメリカ$の枢軸体制を実質的に維持して欲しい、と言う事なんでしょうか?

 これは別に馬鹿げた推論ではありません。アメリカ$は只管印刷され、世界のあちこちで使われています。

「$が広く使われることによる価値の維持 VS $が大量に出回ることによる価値の下落」

を競走させているような状態です。$を使ってくれる事による価値の維持、つまり一種の広告宣伝として偽札をある程度許容すると言う戦略は決して成り立たないものでもないと思われます。だが、広告宣伝費もかけすぎると企業の屋台骨に響くものです。

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 大体、信用創造によって生産されたお金って、リスクを考えると既に半分偽札のようなものであります。流通性とリスクの観点からすれば、

「織物(租庸調の調)やお米のような実物―黄金―貨幣―信用創造―子安貝―偽札」

と言うような階梯を考えることが出来そうです。今、$は正に子安貝の水準にあり、やがて偽札の水準に転落します。

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 アメリカ$の価値を維持するための別の方法は、

「まだアメリカ国債を買ってくれる人たちの言うことを聞いて、アメリカ国債を黙って買って貰う」

です。更に買ってくれる国と言うと、中国。色々な情報があるようですが、目下中国がアメリカ国債を一番買ってくれる上得意のお客様のようで、流石に中東産油国はヤメにしたようです。中国は、アメリカ国債を担保に元(げん)を発行する事で国内経済を回している所がありますから、当面はアメリカ国債を購入することはワリに合うもののようです。

 お客様の言うことは聞かなければなりませんね。例えば、日本はアメリカに最新鋭戦闘機のF-22を売ってくれと言っていますが、それは中国が甚だしく嫌っています。よって、アメリカは日本にF-22を決して売りません。F-35だって怪しいものです。他にも、色々な所でアメリカは国債を買ってくれる人たちの言うことを聞かなければならなくなります。

 中国の懐も無尽蔵ではありますまい。何しろ、中国にはそろそろ限界が見えてきた安価な労働力以外にはこれと言う資源はないのですから。ですから、この方法もアメリカの底なしの贅沢を支えるものではありません。

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 究極的な姿として、アメリカ$が完全に紙屑になる事もまぁないでしょう。

 何だかだ言って、世界中で最も良く使われている貨幣が$です。ユーロ、ルーブル、円、元を知らない人も、アメリカ$は見て知っており、それが貨幣であることも勿論知っています。つまり、未だ十分に貨幣が流通していない地域において貨幣と言えば$。そのような地域や場面でアメリカ$は使われていくと言う事になるのでしょう、子安貝として。

 また、アメリカと言う国そのものも広大で様々な資源に富み、農業等を行える土地がふんだんにあります。マトモに働くならば、随分働きがいのある国土だと言えます。マトモに辛抱強く働くならば、ですが。

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 全体的なバランスは、アメリカ国債を筆頭とする$の価値が大幅に下落する方向にあります。これをマトモに戻すには、アメリカ政府が一方で大量の国債を発行して企業や家計の赤字を補填し、債券や株の相場を超強力に維持する必要があります。経済そのものが回らなければ、$の価値は維持できないからです。

 当然、企業と家計の赤字は厳しく制限しなければなりません。アメリカ人はもっと質実な生活になり、全員が本当の意味で働かなければなりません。

 同時に、当該国債をアメリカ国家そのものを細分化してでも償還する必要があります。例えば、日本には政府だけで推定200兆円以上のアメリカ国債が押しつけられていますが、それをチャラにする代わりにグァム・サイパン・ハワイを割譲する、とか。アメリカ国債を大量に保有している企業は、アメリカ本土の国有道路を得てそれを有料化して上がりをピンハネするとか。こうしてようやっと、アメリカの大量の赤字は全て償却されます。

 だが、アメリカがこれらの事をするでしょうか? 周囲の日本人を観察しても、一度下らない贅沢を覚え、一度働かない生活に馴染み、一度様々な権力(※札束は権力です)の味をしめた人間は、滅多な事で改心はしないことが知れます。


 かくして、$の価値は更に果てしなく低下し…、ある朝 崩壊の刻を迎えます。アメリカ国債の落札が連続して成立しなくなる、と言う瞬間が。

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見通そうとする者たち

仏暦2551年10月29日 水曜日

 さて、大混乱の世界経済ですが、それぞれのマスコミやら廣島を含めて様々な個人やらが色々と論を提示して、これから先何がどうなりそうかを言い立てております。一体、これらの中で誰が一番正しく将来を見通す事になるのでしょうか?

 まず、廣島の論は極めて簡明です。最終的にはアメリカ$の暴落で今回の騒動はケリがつく、と言うのです。その中で、アメリカにべったりである国や組織等程厳しい状態になります。端的に言って、アメリカにくっついていく事しかしない日本の将来は真っ暗です。かてて加えて、日本は地主利権を筆頭に大小様々な利権構造が網の目の如く張り巡らされており、生産に寄与しない領域に部分的には少しづつ、だが全体的には途方もない所得の移転が行われており、これに伴い人々は働く意欲と能力を喪失しつつあり、今回のアメリカ発の恐慌がなくても既に絶望的な状況にあります。

 幾つかのマスコミを比較してみましょう。

 最も悲観的な観測を流しているのは週刊文春でしょうか。日経平均株価5000円割れに失業率10%を予測しているのですから、大変なものです。一瞬であれこの値がクリアされれば文春は”本当のこと”を言った事になります。

 対極的にノー天気なのは週刊朝日と言うところでしょうか。早々と、日本株は買いになった、今買って万年貧乏から脱出だ、と言います。あの〜、更に下がっているんですが。それに、本当に日本株が例えば日経平均2万円近くになったとしても、6000円で買って1万8千円で売ったとして高々3倍。1000万円と言う途方もないお金を突っ込んだとしても3000万円。ようやっと家を買う資金としてめぼしいものになるかどうか、と言う水準です。

 経済週刊誌の中で、失礼ながらとんちんかん路線を走っているのがダイヤモンドでしょうか。倒産危険度ランキングと言う特集号が10月4日号にありましたが、聞いたこともないような企業ばかりを並べています。はっきり言って、近所のパチンコ屋が潰れた方が経済的打撃が大きそうな会社がずらり。これって、読者にとってどのような意味があるのか…。まぁ、客観的に当否が確定する記事であるのでその点では立派。数年かけてじっくり検証させて頂きます。

 与件はどうでも良い、主体としての我が社が何をするのかが重要だ、と言う調子で記事を作り続けているのが東洋経済。これは、プレジデントも同様ですが、東洋経済が企業としての変革に力点を置いた記事が主体であるのに対して、プレジデントは自己修養に力点を置いているのが異なります。そこで、これらの修養なり投資なりが投資として効果があったのか、最初から有効性のない投資ではなかったのか、と言う水準でこれらの雑誌の妥当性は後年判断される事になります。

 経済雑誌として中庸なのがエコノミストでしょうか。その中で連載モノの「今井きよしのマネードットカムカム」は、毎回最もオプチミスティックな記事になっていて、何やらほのぼのとした風すら漂って来るかのようです。この連載は、妥当性がどうのこうのと言う世界を超越しているのでしょう。


 さて、一体どの人またはどの雑誌の言った事が最も”当たる”のでしょうか? だが、歴史を見れば”尊皇攘夷”派対”佐幕開国”派が血みどろの戦いをした後に、現実には”尊皇開国”の時代が来たりしたものです。例えば、”経済”と言うことが大した意味を持たない時代が来る、と言うような事もあり得るのかも知れません。

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基軸通貨最後の輝き―お金への”崇拝”の終わりの始まり

仏暦2551年10月27日 月曜日

 凄まじい通貨と経済の嵐が続いておりますが、さてそのビョーキの原因であったアメリカ$と他の通貨の関係を見れば、日本円が暴騰した他は全部アメリカ$に対して大幅下落の由。

 そもそもリスクまで考えるとその価値がインチキに過ぎないアメリカ$の過剰生産が全ての問題の根源である事を考えれば、これは物凄くおかしい現象です。だが、これが

「ある貨幣が基軸通貨である」

と言う事。印刷された$のほとんどが”なんちゃって”状態ですから、その信頼が崩れた瞬間、決済用の$が不足と言う事になってしまう。$を貸し付けて経済が回っていた国々はお金がない状態になってしまいます。

 端的に言って、未だに世界中の人々が皆、お金を”崇拝”しているのです。お金は、大方の人々にとって天から降ってくる権威なのです。

 例えば、スペインがアメリカ大陸を侵略して南米ポトシあたりから大量の銀を持ち来った時の歴史を振り返ってみましょう。欧州諸国の生産力増大の”可能性”は大きかったものの、それに実際に火をつけたのはポトシの銀でした。お金を”崇拝”する人々が、お金が与えられた事によって活発に布教活動に出たようなものです。お金は彼らにとって”再び降臨したイエスキリスト”のようなものでした。

 廣島は、繰り返し、真に存在するものは人間の知恵に裏打ちされた生産力である、と主張して来ました。お金を崇拝している人々はまだ”自分たちの”その可能性に気づいていません。

 次に来るべき世界は、この可能性に人々が目覚めた時代でしょう。

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野良人間の時代

仏暦2551年10月26日 日曜日

 神奈川県にて、ネットカフェのトイレにて男児を出産してそのままにして逃げた女性逮捕。赤ちゃんは無事保護の由。

 とうとう出てきたか、と言う感じです。今や、”野良妊婦”と言う俗語までマスコミに登場する始末。

 そう言えば、大阪にてはこの手の簡易宿泊所にて放火による出火、16名が亡くなりました。

 方や、東京池袋のネットカフェでは無職男性が派遣従業員男性を殴って首の骨を折って殺害。ネットカフェに”居住”する人たちの物語りが犯罪と言う形でお互いの目に見え始めています。

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 そう言えば、あの石原東京都知事は、一泊1500円のネットカフェなぞに泊まるのは贅沢だとか何とか発言なさった由。山谷とかだと一泊200円だからそっちに泊まれとのご指導のようですが、新聞によれば実際は昨今800円からで、台東区長等が抗議したところによれば平均2000円程度だそうな。

 で、仮に未だに山谷が一泊200円だとしても、どうやってそこに”帰宅”すれば良いのですかね。山谷への電車代でうっかりするとネットカフェに宿泊する以上の額になってしまうでしょう。

 で、それが駄目ならば、新宿駅から新宿都庁庁舎への地下道にでも泊まりますか。…かつてここで東京都により大々的なホームレス追い出しが行われた事をお忘れなく、皆さん。

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 長野県岡谷警察署は、窃盗容疑で現行犯逮捕した住所不定無職少年17歳が実は少女17歳だったと訂正発表した由。

 無職未成年の窃盗事件と言うところで既に驚かなければなりませんぞ、皆さん。未来がある筈の若者が仕事なしで犯罪に手を染めていると言うのは実に嘆かわしい…と言う表現はざっと30年前の日本語になってしまいました。

 その前に、住所不定と言うところで驚かなければならない。未成年は保護と育成が行われるべき人たちであり、どうして住所不定なんて事になっているのか。

 で、その未成年が実は少女だったと言うのももっと驚かなければならない。少年はあれこれ冒険をするものだし、その一部として犯罪や放浪に走り易いのに、少女とは…と驚かなければならない。

 少年と少女を誤認すると言うところで警察諸氏の目玉はどこについている…と言いたくなるが実は所持していた運転免許証が実在する少年のもので、写真も偽造されておらず、取得の際に不正があったらしい。更に驚き。

 少年と誤認する程、彼女は痩せこけていた訳でしょうか。住所不定無職となればありそうですが。であるならば、これにも驚かなければいけない。

 では実在するらしい少年の方はどうなっているのか、と言うことを、諸君は考えなければならない。当初は住所不定無職の少年と発表されていたとの由。運転免許証がありながら住所不定と発表したということは、その住所にはその少年は既に住んでいないことを軽く聞き込みなぞも行って確認していた、と言うことでしょう。…

 と、色々考えてみると、この事件実に不気味です。身もとをお互いに明示しながらのちゃんとした市民生活と言うのではない、いつの間にか神戸で増殖していると言うアライグマのように町のそこここの隙間に人間が生きていると言う事が不気味なのです。

 勿論、彼女が一体長野の厳しい気候の中、どこで生きていたのかが最も不思議であり不気味です。ここは年間最低気温実に−6℃。岡谷市にも”簡易宿泊所”があちこちにあるのでしょうか?それとも、廃屋があちこちにあり、その中に住まっていたのでしょうか?はたまた春から住所不定になったのか?

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 ところで、大阪のネットカフェで16名を焼死させるに及んだ小川某容疑者は、昨今、事件の前日に奈良の宗教団体で幻覚性のお茶を飲まされ、これが事件に関与した可能性があると主張し始めた由。事件の前後数分間の記憶がない、寝ていた、とも主張しているようです。

 これまで何度か述べているように、強いストレスは記憶を飛ばしますから、犯行の前後の記憶がないのは当然至極。これは実行時に小川某氏が責任能力のない状態であった証明にはなりません。言わんや、前日に呑まされたお茶がどんな作用があるものか。身体の解毒作用で何も残っていないでしょうに。大酒を飲んでも1日も作用するものではありません。

 彼は、こんな程度の言葉で言い逃れが出来ると思っているようです。実際、とにかく何でも良いから言葉を連ねてごまかそうと言う風潮に、世の中は満ちています。かような反論にもならないし特段の新しい証拠にもならない事をわざわざ記事にする記者君とその編集者も、この風潮に結果として荷担しているとしか言い様がない。あらゆるところに

「一時的なごまかしと言い逃れと一瞬だけのサービスと逃げ場を見つけ、それらの間を転々として行く人々」

と、そのイメージが満ち溢れています。

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 小川某氏のような口先だけの言い逃れは、良く思い出してみればお偉い人たちにも実に多いものです。そして、この種の言説は随分以前から増え出しました。一体いつ頃からだったでしょうか…。

 先の某東京都知事氏はかのご発言の後、台東区からの抗議で”そんなに安くなかった”と釈明した由。これもまたものの見事に話の本筋を外しています。問題は、そもそも”まともな”生活が出来なくなったことをあたかも趣味と自発的選択であるかのような見解を開陳している事、それによって現代のこの棄民に積極的に目を瞑ろうとしていることなのです。ここに、彼の氏の釈明が、単なるコトバの上での身のかわしに過ぎないことが分かります。彼は

「普遍的な人間としての生き方の共通認識」

から逃げています。

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 野良犬野良猫とは、基本的に”その場限りで逃げていく存在”です。同様に、今や日本人もその場限りの言い逃れ、その場限りで売り逃げ、その場限りで掠め取り、の連続で生き延びようとしています。別に簡易宿泊所に住まっている人だけではなく、全ての人が”野良人間”になりつつあるのでした。

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道草の教え方

仏暦2551年10月23日 木曜日

 公立学校と言うのは今や何も教えていない所なのだ、と言う事を痛感する日々。それには、実は二つの意味があり、第1は愚民化政策なのか、教える内容がそもそも希薄になっているということ。これは多くの人が気がついて問題視し始めていますが、何分日本人全体が貧乏になりつつあるので、対処には限界がある保護者が多くなってしまいました。

 大体、受験勉強が過剰であると言う事が問題になった際、単に勉強量を減らすと言う問題の摩り替えを誰がやってしまい、誰が騙されてしまったものやら。確かに”大変な受験勉強”は”全体としては”軽くなりました。何しろ勉強量が減ったのですからね。コトバの字面としては正しいと言えばまぁ正しい。だが、最もトップの偏差値の学校ではその競争は元より軽くなる筈もなかったのです。これでは単に全体として勉強をしない、つまり怠けるようになっただけです。

 どうもこの”問題の摩り替え”は、アイヌ民族の昔話に出てくるコロボックルを苛めた怠け者の話を思い出させます。この昔話では、偶然捕らえたコロボックルに怠け者は”俺の一生分の食べ物をよこせば放してやる”と脅し、コロボックルはあまり大量ではないお米を与えます。そのお米が尽きてしまった怠け者はあれこれ足しにならぬ事をやって挙げ句は自宅が火災を起こし、死んでしまう、確かにそれは彼の一生分の食料だった…と言うような話だったと思います。何かこう、話の筋をはぐらかすと言う点で、初等教育や中等教育の内容を薄くしたから受験勉強の過酷さは軽くなりました〜と言うのは、同類と言う感じがします。そして、怠けていても生きていけるようにして欲しい、と言うのはあるべくもない

「働かざる者食うべからず」

と言う点でも同じ話でしょう。機械が充実した現代において、働く、とは頭を使う、頭を使えるようになると言う側面が非常に大きいからです。

 閑話休題。

 だが、より重大な第2の意味があります。それは、”そんなに薄い内容から教えざるを得ないのもまた現実。と言うのは、そもそも子どもたちが何も分かっていないし、勉強する態度になっていない”ということ、です。

 それは、例えばこんな事です。ほとんど散歩の時間と化している”総合の時間”。かみさんの言によれば先般もマンションの公園に我が子の学年の学童が集団で登場、何やら遊んでいったのだが、それが総合の時間だった由。どうも総合とか社会の授業と言う事で何をやっているかと言えば、学校の近所のあちこちを集団で散歩してはあそこにあれがあった、これがあったと言う事を記録しているようです。

 どこに何があると言う事は日常的に分かる筈の事なのであり、そんなにくだくだやるような事とも思えないのですが、何しろ今どきの子どもはとにかく公園とかで遊ばない遊ばない。”何もない”ところで”何か”を作り出す、遊んでみる、と言う事が出来ないようです。つまり、外から動因がないと動かない。ニンジンか鞭か、そういうのがないと動かない。”内発的動機づけ”がないように見えるのも確か。これは、何度か引用した三森創氏の言う”プログラム駆動症候群”と言う事。

 そして、この”散歩”程度で、確かに勉強になっているようです。例えば、道端にあるあれこれの中で里芋を誰もそれと知らなかったとか。まぁ、実はそれはボランティアで”散歩”の付き添いに行ったある親がそもそも分かっていなかったという事なんですが。これから食料の入手が次第に困難になる時代、これで子どもたちは生き延びられるものやら。

 現代は、徹底した資本主義の時代であり、銭金と商品の交換価値の損得が全てです。何がニンジンで何がムチなのかは実に明瞭。その中で人々は損得勘定で生きていかなければなりません、子どもの時から。子どもたちが自発性を失うのもけだし当然かも知れません。

 と言うのはこういう事です。商品だけの世界では、”何もない”時には”何もしない”と言う事になります。商品に対してリアクションする事が最も利益があるからです。余計なことはしないのが、金銭と言う究極的な価値を蓄積する事にもなります。また、本来人間どころか動物には探索して認識はしておくと言う行動パターンが存在しますが、現代人はそのような行動には報酬が与えられません。あっと言う間に店も商品も企業も変身してしまい、認識と記憶の意味がないのです。目の前の商品の交換が全て。そして、一度商品を見るや、その値踏みはしっかりしなければなりません。

 だが、”何か”を作り続ける事で生きることが許されるのが世の中。そんな人間は結局は、”価値がない”人と言う事になってしまいます。商品を作ると言う事は、商品にリアクションする事ではないのですね。論理上当たり前なのですが、ここに日常行っていることと現代における生産の間の深い断崖があります。いや、商品から使用価値を引き出す、一寸前のカッコ良い言葉で言えば、プロシューマーするためにすら、商品に対してリアクションするのでは全然足りないのです。

 現代の貧困と言うのは、かような意味において人間の生産性を本質的に削り落としてしまっている事、と理解出来ます。

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 ところで、その学校。所謂置き傘を教師の指導で皆置いており、折り畳み傘はそれぞれの机のぶら下げ、折り畳みではない傘は玄関の一隅にまとめて置いています。

 で、先般我が子の折り畳みではない傘がいつの間にか取られていたとの由。だが、他にも取られていた子がいたとの由。

「置き傘を置くとか雨模様の際に傘を持ってくると言う事が出来ない」
   ↓
「雨の際に友達に入れてもらうとか我慢すると言うことが出来ない」
「他人のモノを盗むことを我慢できない」
   ↓
「せめて盗んだものをこっそり返す、と言うことも出来ない」

と、3つものバリアーを突破して盗みっぱなしと言う事態が成立しますから、これは実に人格が緩いか・頭が悪いか・人格が小学生にしてねじ曲がっているか、酷い貧困か、です。

 これに加えて、親も「ウチにある筈ない変なもの(見慣れない傘)がある」とか「子どもの様子が変な事(傘なしで雨で帰ってきたのに濡れていない)に気づかない」、はたまた積極的に盗みを賞賛しているか。

 こういう学校内のちょっとした窃盗とかは昔からあった事ではあるのでしょう、廣島はどうも遭遇した記憶がないのですが…と思って、黙殺する事にしますか。いずれ、大人の皆さんも凄まじいスピードでぶっ壊れていっているようですから。…こうして、盗みをしない人たちも余計な注意をしなければならず、無能化させられて行きます。

 矛盾しているようですが、道草をしたいと思わない人間は有益なことが出来ません。だが、道草の誘惑を必要に応じて絶てない人間もまた有益なことが出来ません。こういうことが出来ない人たちの国が生産的な訳がない、と言うものです。

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複雑への欲望

仏暦2551年10月20日 月曜日


 鹿児島県いちき串木野市が東京工業大学吉川邦夫教授の設計により三井三池製作所に発注・設置したゴミ処理&発電施設が、全然電気を生み出さず、会計検査院の指摘により国補助金返納から市が教授に対し提訴するに至る由。

 新聞記事を見て驚くのは、この発電施設なるもの、ゴミから出たガスを使って”ガスディーゼル”エンジンを動作させるとのこと。ディーゼルって、液体燃料を圧縮高圧空気の中に噴射する事で燃焼を起こさせるものじゃなかったんでしょうか? 例によってのネットの検索をしても、どうもこの技術がどんなものなのか判然としません。大体、単純にゴミを燃やしてその熱を利用するならばともかく、こんな複雑な装置が軽々と上手く行くとはとても思えない。実際、ガスが安定的に出なかったので動かなかったとか。

 まぁそんなシステムが世の中にあるのかも知れませんが、如何にも斬新過ぎるように思えるのであり、やるならば検証実験をそれなりに積んでから行うべきでしょうが、製造した三井三池製作所の技術陣は何をやっていたんでしょうか? 勿論、発注した市の技術陣も。

 どうも世の中に

「複雑なハイテク」

に対する信仰が蔓延しているように思えます。

 そう言えば、昨今携帯電話において複雑で高価過ぎる携帯電話が諸外国でまるで競争力がないことを嘆く言説が多いこと。日本の市場に合わせたと言うのは確かにそのとおりなのですが、ではどうしてこうも無意味に複雑なものを日本人は愛好するものか。これは心理学的な研究に値することのように思われます。

           †

 複雑精緻な存在と言えば、万能細胞に関する発見だ特許だと言う話が世の中を賑わせていますが、万能細胞が出来たからと言って、これをどう使うんですかね?

 全ての動物は胚つまり完全万能細胞から組織を分化させ、その際に哺乳類ならば胎盤、卵生の動物ならば最初から設えられている黄卵等から栄養やら酸素を得て、老廃物を破棄しています。組織を形成するために複雑なシステムが既に存在している。で、万能細胞の胎盤はどうするんでしょうか? まぁ、皮膚程度ならば現在でも十分出来ますが。

 別の方法として、例えば膵臓のホルモン放出細胞が少なくなった人(つまり糖尿病患者)に、他の所から作った万能細胞から分化させた膵臓細胞を注入すると言う方法はありそうです。だが、今度は損益の比較考量からして、別の問題が生じます。そもそもある条件が成立したからこそ膵臓の細胞が減った人の体内環境をそのままにして注入して意味があるものでしょうか? 体内のあちこちに万能細胞が存在する事が益々明らかになっている訳で、動物の身体は結構復旧能力が大きく、それを賦活する方が遙かに話が早いのではないでしょうか?

 複雑であるしかないものは複雑なままに。簡明であるべきものは簡明に。

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ヤブ蚊、再び

仏暦2551年10月17日 金曜日

 先般から記しているように、我が家のマンションの裏手にあったさえない鉄筋コンクリートアパート&大家の住まう一戸建て×2が撤去された今年の夏、ヤブ蚊の攻撃がまさにゼロになる程に激減したのであります。この地主氏がヤブ蚊の養殖を趣味とされていた事は疑うべくもありません。

 ところが、この10月に入っての12日土曜日、我が子がマンション裏この空き地の隣の公園で遊んでいた所、両足に実に10か所のヤブ蚊の噛み痕が。すっかり涼しくなった今頃になって何故?

 話は簡単。この土地は●京社が購入したようで、我がマンションを含めて地域の環境が充実して来たのを頼みに、つまりは他人のふんどしに凭れ掛かってマンション造って高値で売ろうとしております。だが、昨今の不動産相場の崩壊に加えてアメリカの”なんちゃってマネー”の大崩壊もあいまって、自社の株価も順調に値下がりし、そろそろ2桁も見えてきています。これから先、もっと事態は厳しくなるでしょう。

 と言うのは何も廣島の予想ではなく、多くの経済雑誌が書き立てる所です。週刊新潮はとうとう10月23日号にて「株価が5000円になったらば…」と言う記事を掲載しました。5000円になるとは言っていませんが、言ったに等しいですな、この記事は。以前から本体Webに記しているように、概ね7000円を切ったらば日本は開発途上国に逆戻りするのであり後は何が起こるか分からない…と廣島は考えます。そう言えば、先般JALはブラジル・エンブラエル社から中型ジェット旅客機の納入を受けました。20年前、誰がアマゾンの密林の国から最尖端の航空機を我が国が購入するなぞと予測出来たでありましょうか。かたや、日本はこのクラスの旅客機を製造販売出来ていないのです。これも挙げて

「あらゆる領域で非合理の塊となった国のなれの果て」

であります。

 閑話休題。

 かくして、いつになったらば建設が始まるのかも判然としない状態。よって、払ってしまったこの土地も、いつしか草茫々の有り様。その地面にはなかなか乾かない水溜まりが多数発生しているであろうことは、想像に難くありません。そこに再びヤブ蚊のボウフラが豊かにお住まいになっていた、と言う訳です。

 この間、この周辺の環境に他に変化はありません。我が家マンションの東側にある、地主が古い自宅邸宅を払ってしまってこれまたそのままになっている小さな土地は、いつの間にか草を綺麗に刈り払っていましたから、ヤブ蚊の発生はなさそうです。何しろ地主が隣に住んでいますからね。

 つまり、またしても旧鉄筋コンクリートアパート変じて大●社のマンション建設予定地がヤブ蚊の発生地だったのでありました。


 それにしても、土地を生産性の低いままにして握って放さない連中に対しては、田舎であれ都市部であれ、もっと厳しく土地税をかけるしかないのでしょう。さもないと、我が国は益々食料自給率が下がり、都市としての生産性も落ちる一方となります。

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このような人たちの国

仏暦2551年10月12日 日曜日

 一昨日10日、我が子がスーパーマーケット前で512MBのSDメモリーカードを拾いまして、失礼して中身をみたらば少々離れた町で行われたお祭りの風景。どうやらこのカードに納めた写真を写したお宅の息子さんが練り歩きの一人として登場しています。奥さんらしい人も写真に納まっています。立派な記念写真の数々です。定めし、写真の主が落として今頃は”お父さんが写真を落とした!”と妻子から轟々たる非難を浴びていることでありましょう。これは是非交番に届けなければなりますまい。

 と言う訳で昨日11日朝、久しぶりに駅前交番に赴き拾得物届け出をしまして、その手続き自体はさらさらと済みました。ただし、拾得物の落とし主が現れなかった場合には、これまでは6カ月の経過が必要だったものが3カ月で拾い主のモノになるようになったとの由。

 さて、今日の話の主題は落とし物ではありません。手続きをしている最中に交番に3名の男子高校生がやって来まして、道を尋ねました。夏の制服を着ているのですぐにそれと知れますが、学校までは分かりませんでした。何でもTと言う停留所で下車した所の中学校だか高校だかで試合があるのだが、次のバスが出るのが1時間後なので歩いていきたい、と言うのです。

 だが、端から聞いていても、どうも話が全然要領を得ない。一つには、彼らの目的地はこの交番の管轄外であり、警察官も地理に疎かった事があります。廣島はある程度そちらの地理も分かっていたので、少々加勢しました。どうも八王子の方の筈です。

 だが、はるかに大きな問題はこの少年たちにありました。あれこれ言葉を交わしてみると、その学校なるものは”ふじ…”とか言う名前だとか。だが、”ふじ…”が出てきたのも最初は単に中学校だか高校だかと言うので近所の著名な中学校や高校の名前をあれこれ並べ立てて、ようやっとアタマの方だけが出てきたと言うような案配。取り敢えずTと言う停留所の名前が出ているので、警察官は停車しているバスの運転手に尋ねるように教示しました。

 だが、程なくまた一人が戻ってきました。どうも違うようだ、と言うのです。奥から別の警察官が八王子の地図を持ってきて、挙げ句は専用回線で名称を問い合わせてくれました。だが、分からない。散々地図を見て、どうやらそれらしい名前が出てきました。だが、そこはこの交番から十数キロは離れている場所なのです。どう見ても、歩いていけるような所ではありません。

 話の中で警察官は、しっかり聞いてこなかったのか、と言う風に尋ねたのですが、少年たちは先生の説明も曖昧だったと言い逃れをするばかりで、それ以上の記憶が出てこない。大体言い逃れをしてもちっとも問題解決にはならないし、これから先の己の馬鹿さ加減を直す足しにもならないと思うのですが。

 これだけではありません。舞い戻ってきた少年は、警察官と話をしている間に、廣島が届けたメモリーを勝手に手でいじくり出したのです。流石に廣島はそれを静止して、デスクの別の場所に置きました。だが、またしばらくすると勝手にいじくり出しました。流石に今度は警察官がそれを制しました。

 廣島は途中で手続きが終わって交番を離れたので、この高校生たちが最終的にどうしたのかは知りません。だが流石に気になったので、帰宅してネットであれこれ調べてみたのです。Tと言う停留所は多摩川の向こう、八王子の市域にある大きな運動公園の脇の停留所でした。この運動公園はサッカー場も野球場もテニスコートもありますから、どれかの試合がそこであったのでしょう。件の高校も確かに八王子にあるが、これは10キロ以上もTから離れており、およそ関連はありません。この高校生たちは、試合の相手と試合の場所の記憶が混濁していると思われます。

 つまり、この高校生たちは先生の説明をきちんと聞いて理解し、分からない所は質問し、それでも理解に不安があるようならば地図を見ておくとかで下準備をする…と言う一連の行動が出来ていないのです。”馬鹿”と言う以外に彼らを表現するのに適切な言葉はない。そんな連中が少なくとも3人も!

 それだけではありません。3人とも馬鹿であるのに、お互いが馬鹿であることを理解していない問題もあります。自分たちが馬鹿であるならば、分かっていそうな人に聞くべきだし、それがお互い様と言うものでしょう。彼らは、社会的な知能にも欠けています。

 更に、舞い戻ってきた少年は、人様のモノであるメモリーを断りもなしに弄くっていました。どうも雰囲気として、警察官や廣島が見ていないタイミングでひょいとポケットに入れてしまっても不思議ではなかった。こういうのを昔の言葉で”手癖の悪い奴”と言います。

 それにしても警察官たちの応対は立派でした。馬鹿少年たちに怒ることもなく、きちんと対応していたのです。欲の皮ばかりが突っ張っている連中の愚行により生産力のある人々が消耗させられて行く昨今の日本の縮図を見るようなものでした。犯罪の荒波に揉まれ続けている警察官たちにとって、虞犯行為をしていないだけこの連中はまだマシの部類なのかも知れません。


 さて、アメリカの”なんちゃってマネー”が雪崩を打って崩壊しつつあります。取り敢えず目下、たまたま”なんちゃってマネー雪”をあまり保有していなかった日本の評価が俄然高まり、急激な円高になっています。だが、一体このような馬鹿な若者が綺麗な服を着て大きな顔をして歩いている国の生産力と言うのは、どの程度のものでしょうか? 化けの皮は幾ばくもなく剥がれるように思えます。

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ゲリラ的軍事革命

仏暦2551年10月09日 木曜日

 旧聞に属しますが、現地時間9月20日午後7時頃、パキスタンの首都イスラマバードにあるマリオットホテルがトラックに積んだ爆発物による大規模な爆弾攻撃を受け、数十名が死亡、200名以上が負傷の由。このホテルはアメリカ大使館と並んでアメリカ合衆国のパキスタンへの出先機関のように動いていたようで、過去にもゲリラ攻撃を受けていました。

 で、今回の攻撃での新聞の報道にちらりと爆発物としてアルミの粉が発見されたとあります。しかも、館内は大規模な火災を起こしたとの由。

 これが事実ならば刮目すべき情報です。アルミの粉は良く知られているように、焼夷弾の材料の一種です。酸化鉄と混ぜるテルミット、マグネシウムと混ぜるエレクトロンの何れにおいても使用されます。武装組織は意図的に火災を大きくするためにかような材料を用いた可能性があります。爆薬の周囲をアルミの粉等の焼夷弾の材料で包み、焼夷弾の材料をホテル内部に叩き込んだのでしょう。驚くべき発想です。

 何だかだ言って、世界の軍事力は増大しています。それはゲリラ組織でも同じだ、と言うこと。

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渋面の時代


仏暦2551年10月07日 火曜日

 欲望に支配されているが故に欲望を満たし得ないとして苦しむ人々と、欲望に支配されているが故に他人を支配して他人を苦しめる人々で満ち溢れている現代。かつて訪れた欧米人たちがしばしばその表情の穏やかさを賞賛した日本は、今や渋面で満ち溢れております。

 遂にコマーシャルでも同じで、サントリーの缶コーヒー・ボスの新しいコマーシャルのキャラクターは真っ青に塗られた渋面のゴリラ。その渋面氏が「そうはいってもいい世の中じゃないですか」と語っています。おいおい。

 かと思えば、山梨県笛吹市では産物のこんにゃくをアピールするための「こんにゃろうくん」なるキャラクターがあるそうな。このキャラクター、しかめっつらに赤い角。角がこんにゃくの芽なのだとか。

 現代において従来はキャラクターに渋面と言うのはなく、愛されるような顔立ちかさもなければ衆人の目を驚かせるような怒り顔かどちらかでした。だが、より以前にはキャラクターの顔は結構渋面だったようです。大正時代の花王の三日月顔は渋面が必死に泡を吹いています。また、福助はこれまた渋面で、屈辱に塗れながらお客様に奉仕します、と言う風な顔をしています。

 人間には自分と似た心理状態の人に共感を覚える回路がある訳でして、かつては日常生活そのものが非常に苦しかったのですから、いやでもコマーシャルのキャラクターは渋面になります。まぁまぁ世の中が経済成長していた時代にキャラクターの顔は穏やかになり、それが次第に苦しくなってくると一度抽象的になり、それでも間に合わなくなると遂に渋面に戻ってしまいました。これから、渋面のキャラクターやグラビア写真なぞがどんどん出てくるのでしょう。

 でもねぇ、そもそもその渋面は、

「欲望に支配されているが故に欲望を満たし得ないとして苦しむ」

ことと、

「欲望に支配されているが故に他人を支配して他人を苦しめる人々」

によって作られているものであり、決して本質的に日本が貧困状態によるものではないのですが。

          †

 欲望と欲求は違います。

 昨今、マルクスが述べた奢侈生産と本質的な生産の差異についてぼちぼち考え始めています。奢侈生産に現代日本は溺れてしまい、本質的な再生産のための生産がぼろぼろになってしまっている…と言うメカニズムと様相に視点が移行しています。現代日本は、奢侈生産が非常に細かい所まで浸透しているらしい…。

 このあたりは、また追々と。

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発生源

仏暦2551年10月05日 日曜日

 何やら今年は廣島の住む場所の近辺では蚊が少なかったことで、勿論これはとても良いこと。この近辺では所謂ヤブ蚊の類が殆どでアカイエカの類は夏の終わりに少々出る程度なのですが、とにかくヤブ蚊が少なかった。

 一体何がどう変化したのだろうか、と思案しても、例えば例年に比べて今年が降水量が少なくてボウフラが涌きようがなかったとか、寒くてこれまた蚊の成育が悪かったとか言うことはありません。

 ようやっとはたと思い当たったのは、昨今このブログで記している、”我がマンションの裏にあった5階建てのアパートと同じ敷地にあった地主の古びた一戸建て”が今年はない、と言うことなのです。

 と言うのも、ヤブ蚊と言うのは先般記したように、ごく少量の水があればボウフラが涌いて繁殖する事が出来るようです。雨樋のちょっとした詰まり、そこらに転がされている古タイヤや空き缶、手入れが悪くうろに水が溜まっているような老木、大きな葉の付け根で水が溜まるような所(アナナス科の植物が世界的には最も典型的)等等が絶好の繁殖地になってしまいます。で、先般まで存在していたこのアパートと古家はどう見ても雑然としていて、蚊の繁殖地になっていたと思い至ればなるほどと言う所が多々あるような所なのでした。

 これらを払った後はマンション予定地と言う事になって目下空き地になっており、土質の水捌けが悪いので雨が降れば大きな水たまりが出来ます。だが、幾ら酷く雨が降っても2、3日で早々に干上がってしまいます。この程度だと幾ら大きな水たまりであってもボウフラには好ましくないのでしょう。


 また、このマンションには今頃の季節になると、どこからともなくゴキブリが飛来します。何しろ幼虫(※羽根がない)が全くいないのにいきなり羽根がある大きな成虫がベランダに登場するのですから、これはどう見ても我が家や我がマンションで成育しているのではなく、近隣の環境の良くない一戸建てや古工場から飛来しているとしか考えようがありません。まぁ、これもマンションご近所の話を総合すれば、ここ何年か少しづつ確実に減ってきているようで、実際昨年はゼロ、今年は例年数匹なのにようやっと3匹だけでした。近隣の古工場や廃屋のような一戸建てが少しづつ減っている効果が現れているようです。

 勿論、やがて老朽化する我がマンションが今度は不衛生な害虫の発生源にならないように努力しなければなりません。


 と言う訳で、劣悪な環境にはやはり害虫も涌くものだ、と言う今更ながらの話です。だが、下手に環境が調い、何かとモノを考えるのをすぐ忘れてしまう我が民族ですから、こういう事もこんな具合にぼつぼつと言い伝えて行かなければならないもの。

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消耗

仏暦2551年10月04日 土曜日

 先般、事実上ロシアに喧嘩を吹っ掛けてものの見事に吹き飛ばされたグルジア。そのグルジアにアメリカ合衆国は”艦船”を派遣して戦災に対する支援を行っている、とされています。おまけに、日本のマスコミには”新冷戦”と言う文字が躍り始めています。

 何だかこれだけを見るとアメリカ海軍の艦艇が出動しているように思えるのですが、あちこちの新聞やネット情報にちらちらと見える写真に写っているのはまぎれもなくCoast Guard、つまり日本で言えば海上保安庁の船。

 まぁアメリカの場合、コーストガードは明瞭に"Para Military"と定義されて、リクルート等でもそのような扱いにはなっていますが、巡視艇は巡視艇。基本的には国境警備隊または警察、税関と言うような位置づけですから、ホンモノの海軍と戦闘になったらば容易に撃破されてしまうでしょう。そのような船がアメリカにとって最も重大な敵国であるロシアのお膝元に行くと言うのは、何の意味があるのか?

 ところで、廣島の住居は米軍横田基地の比較的間近にあり離発着する飛行機も良く見えるのですが、本日の12時頃、あろうことかそのコーストガード所属のC-130が1機南に向けて離陸するのが見えました。真っ赤な太いストライプが胴体を斜めに横切り垂直尾翼も赤く塗られているのですから、見間違いようもありません。こんな事は初めてです。

 US Coast Guardは、今や消耗しつつある正規軍の代わりに世界中でこき使われ始めているのでしょうか?

 方や、アメリカ合衆国下院においても、金融支援法案が成立しました。最大75兆円の税金が注ぎ込まれ、一体どれだけが彼の地の納税者に戻ってくるのか見当も付かない状態です。

 凄まじい消耗戦が行われているように見えます。

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日本応用心理学会第75回大会に参加してのメモランダム

仏暦2551年10月02日 木曜日

 過ぐる9月14〜15日に横浜国立大学にて開催された日本応用心理学会第75回大会に参加。ちょいと発表なぞもしましたが、横浜国立大学と途中経路だった新横浜駅付近の印象、それに今大会の目玉講演者と言うべき村上陽一郎氏と畑中陽太郎氏の話のポイントその他なぞを少々。

○ 村上陽一郎
 自分が安全に関わるようになった1980年代半ばは安全を問題にする事そのものを憚る雰囲気があった。例:処理済み核燃料輸送船あかつき丸に非常時対処マニュアルが存在した事を新聞が取り上げ、マニュアル存在→不安全、と言う論調で切り捨てた。

 科学技術基本計画において「安全安心で質の高い生活の出来る国」を掲げた。これに「安全が誇りとなる国・世界一安全な国日本の実現」が加えられた。

 医療界の安全の契機となった本To err is Human。だが、日本では遅々として何も進んでいない。医師でリスク・マネジメントが出来る人は今でも希。日本医療機能評価機構がようやっとできた。ADR(Alternative Dispute Resolution:訴訟前調停者)は日本では出来そうもない。

 原理的問題:文明化が進めばリスクは増える(※これはBeckの危険社会論と同じ)/Act of God(不可抗力)が減る(人間が何でも出来ることは出来るので、従来はリスクにならなかった事がリスク化する)/個人機能の外化・社会化
 安全≠安心。安心は、距離に反比例・時間の経過に反比例・心理的距離に反比例
 専門家・非専門家の間の乖離にたいして、かつてはPASまたはPUSで対処しようとしたが、挫折。PTAなどリスクコミュニケーションに移行、多くのステーク・ホルダーに初期から参画を求めた。これにより、開発側・反対側両方に意識の変革が生じた。

※ 不可抗力が減る→リスクが増える、と言うのはまさに原理的な問題。そこに実は人間の欲望が入り込む。権力者は古来不老不死を本気で求める傾向があるが、様々なことが出来るようになったと言う個人的な認識がによる錯誤。実際には権力によってリソースを集める事が出来るようになったに過ぎないのに、本質的に不可能が可能になったと感じてしまっていたのである。昨今の錯誤では、逆に技術的に可能な事が多くなっているが、それを実現するためのリソースを現実にどう集めるのか、が問題になる事が多いようだ。例えば、臓器移植手術が出来る、出来ると言うが、それを行うためにはしばしば数千万円から1億円のお金がかかるし、他の人が死ぬことが必要になってしまう。もっと重要な事は、それが可能になったとしても得られるメリットはどの程度なのか、が大抵はまるで考慮されていない。考慮していないから欲望なのであるが。
  結局は、今やリスク・マネジメントは全体として「人はどう生きるべきか・どう生きることが幸福なのか」と言う話に帰着してしまう。村上氏の主張は簡明で、その中で安全と言う事は高い位置に来るべき価値だ、と言うことである。廣島も基本的にはそう思う。安全な社会は、実は創造的なことが沢山出来る社会なのである。とは言え、世の中には興奮させられる欲望や一度頭の中に擦り込まれたきらびやかな欲望を満たすことだけを考えている人がごまんといるのであり、その中で特定の人が黙々と安全社会の構築に勤しんだ場合、それらの人々は”社会の底辺を黙々と支える鈍臭い連中”として使い捨てにされかねない。


○ 畑中洋太郎
 極めて理知的でデータベースはどう使われるか、どうしたらば使ってもらえるか、の話。ごく認知心理学的・認知工学的な話。このプロジェクトは、中曾根元総理から日本を救う方法だと言われて失敗データベースを始め、数年で10億円の予算を使わせて貰った、との由。
 話題提供者の村上史朗氏は心理学者なので、畑中の話を科学の用語で解説することが主体。
 次の時間帯が廣島のポスター発表だったので、途中で退席し、最後の総合ディスカッションは聞けなかった。

※ 廣島の最も関心がある所は、とにかく考えない人々をどう考えさせるのか・これは失敗だったと認識出来ない人にどうやってそれが失敗なのかを認識させるのか、にあるのだが、畑中氏が自ら明瞭に述べたように、失敗データベースは前向きに世の中を作っていこうとする技術者等を支援するシステムである。
  よって、このシステムは他人の労働のピンハネに胡座をかいて怠惰と無能に陥った人を再開発するシステムではない。これでは良く働いている人はますますこき使われるだけ、と言う印象。

 と言う訳で、両先生の話を聞いても廣島が考える事の先は、

「ピンハネに胡座をかいて欲望を肥大させ続ける人間がかなりいる限り、いずれの先生の努力も食い物にされるだけではないのか?」

と言う疑念であった。働く人間が、

「お前ら、でかい面したり文句ばかり言っていないで自分で働け!」

と叫び出さない限り、日本の問題は何も解決せず、苦しみばかりが積み重なって行くのではないのか。


○ 興味深い研究
  応用心理学会は一時期は老大家ばかりが歩いている学会だったが、昨今は若手研究者への助成制度なども整い会員も1100名に増え、楽しくなってきた。非常に様々な応用領域の話が一度に見聞できるコンパクトでお買い得な学会となったと言える。勿論、唐変木・廣島はそのバラエティの一翼を担っていると言う訳だ。

  その中で、今年の発表では高橋・高橋の「感染症流行時の心理反応に関する研究・1」に注目。SARS流行の際の北京の状況を現地研究者の文献から再構築したもの。爾後発表者も訪中した由。救急病院まで直通する道路をいきなり作ってしまったとか、SARS対処要領を電話相談するために北京大学等の大学生を急遽育成した話とかが興味深かったが、どうも発表者と話をしてみると今一つ歯切れが悪い。散々突っ込んで伺った所、

「これから国力どころか知力を落としていく日本が5年後10年後にパンデミックに襲われた場合、中国よりも良く対処出来るとは思えない」

と言うあたりを心配されているのが分かった。なるほど、これは慧眼である。これから間違いなく日本は経済力を落としていくのは当然として、そもそもその根幹となる知力が落ちていくのであるから、知力低下パラメータを前提として危機状態にどうなりそうか・何ができそうかを予測・判断していかなければならないのである。


○ 横浜国立大学近傍状況
 と言っても、横浜市営地下鉄三ツ沢上町駅から正門→教育学部あたりだけの印象。

 既に若干は紹介したとおり、付近はかなり茫漠たるもので工業地帯とも商業地帯とも住宅地帯とも言い難い。国道1号線沿いに大学に至る一帯であるので索漠たるものではあるが、交通量は存外少ない。まぁ、大体日本の都市なんぞ都市計画もなく、市街地規制も事実上何も働いていないのであるから、こういうスプロールが延々と続く。それにしても、このあたりは国道1号線の両側が緩く丘陵になっているので、かつては自動車の排気ガスは誠に激甚であっただろうと思われる。大学に至る迄巨大横断歩道橋が2か所もあるのは今どきとしては珍しい。

 と言う訳で、大学に至る迄にこれと言う店もない。コンビニすらない。大体、大学と言うのは門前に書店と古書店とコーヒー店などなどを従えている…と言うのが老廃棄物・廣島のイメージなのだが、何もない。大体、人通りすら誠に少ない。1日目になにやら工事をしていた所が2日目にはラーメン屋が開業していたのが、ビッグニュースに思える。このイメージはどこかで経験がある…と思ったらば、沖縄県那覇市の国際通りからやや南下したあたりを散歩した時とそっくり。地形まで似ている。

 途中、溝としか言いようがない小さな川(何しろ、水が流れていなかった)と接するあたりに小さな公園があった。溝から南側直ぐに崖が立ち上がっているから、日当たりも宜しくない。ここで1日目の夕方に少々休み、空腹になるだろうと思って買っておいたパンをかじったのだが、付近の藪の中から子猫がぞろぞろと4匹も出てきた。パンを千切って投げてみたらば、中の1匹だけが良く食べた。猫もパンを食べるのだ!それにしても、ここはヤブカが多い。藪と水を整理せずに下手に緑地帯を気取っているものだから、ファイトテルマータを始め小さな水たまりが多く出来ているのだろう。これらが連中を繁茂させている。日本でも熱帯マラリアの流行の可能性が指摘されている。かなり必死でヤブカ対策をすべき時代が来るだろう。

 そう言えば、我がかみさんは昨今いよいよ熱心に都心近くの一戸建てを欲しがっているのだが、一戸建ては周辺環境がちょっとこういう具合だとヤブ蚊の攻撃を受けるのは必至。先日、久しぶりにマンション高層階にある我が家のベランダにゴキブリ成虫君が飛来して大騒ぎをしてくれたのだが、この手のペスト攻撃に耐えることが出来ると思っているのかしらん?

 閑話休題。

 スプロールと言えば、千葉県東金市の駅の東で5歳女児が殺害されたが、Google Earthや地図で見てみればここもまた商業地帯なのか住宅街なのかビジネス街なのか訳の分からない、空き地もかなり多いごった煮地帯である。スプロール地帯は出入りする人間もスプロールする訳だから、”住民の目”なぞも届きにくいと言うものではないか。ごたまぜのバラック街を日本は作ってしまったのだ。苦労なことである。


○ 横浜国立大学印象
 で、その横浜国立大学であるが、丘陵の上に広がる緑豊かなキャンパスである。とは言え、どうも植生も昆虫のファウナも単調でさして面白みもない。植生が充実しているかどうかは、樹木等に付着している蘚苔ツノゴケ類や地衣類を見れば分かるのだが、国道1号線の排気ガスの影響もあるのだろう、ほとんど見ない。

 何しろ廣島もいい加減年であるから、駅から正門まで徒歩16分、そこから丘を超え行こうよ〜で数分の行程を夏に行くのは結構堪えた。大部分の先生は横浜駅からバスで乗りつけたようだし、お金や相乗りの仲間のある先生はタクシーで往復していたようだ。

 加えて、学生が殆ど歩いていない。大学と言うのは大体8、9月は夏休みなのだが、夏休みの間も研究と教育は絶えることなく続き、しかも学生はカネがないから図書館だのクラブ棟だのに漫然と入り浸り、かくして学生と教職員の出入りがかなりある…と言うのが老古紙・廣島のイメージなのであるが、ここではそんな姿はない。学生と教員のレベルが低いから夏休みは何もしていないのか?ここは天下の国立大学ではないか。どうもこの大学は学生にとっても教職員にとっても”明白な目的があるから通勤するところ”であり、取り敢えず行くとか、何となく行くような所ではないらしい。自分が変化する、と言うのは、何となくやってみて気に入ったとか言うことが随分きっかけになるものだと思うのだが。そう言えば、先日廣島の勤務先に入って2年目の新人君がさっさと辞めて行ったが、ここの卒業生だった。その転職先が本来希望していた所だったそうで、彼は”立派な目的をもって”廣島の勤務先に腰掛けをしていた訳だ。腰かけも、立派に”目的をもって、そしてそのためだけに行く”べきところであるのは、この大学キャンパスと同じである。

 周辺はこのような具合で、当然学生食堂も休み。となれば、昼食は弁当しかない。学会大会事務局は、空前のことであろう、弁当無料配布と言う”暴挙”に出たのである、それも2日間連続で。学会大会参加費がお得に思えたのは始めてだ。2日目は午前のセッションから引き続いて廣島はしつこく質問等をして遅くなり、配布弁当が品切れになってしまった。同様の参加者数名が直ぐには食事にありつけなかったのだから、やはりこれは暴挙である。だがまぁ、補充され慌てて掻き込んだ弁当にはエビフライが4匹も入っていたのだから、良しとしよう。(自爆)


○ 新横浜駅周辺印象
 2日間往復共に横浜線新横浜駅経由。少々新横浜駅に馴染みが出来た。

 新横浜駅は端的に言ってちょっとしたバブル状態だった。JR東海が自前の駅である品川と新横浜を首都圏の出入り口とする企業戦略を取っているため、新横浜駅周辺にはきらびやかなビルが立ち並び、駅前ペデストリアンも建設中。

 お陰で、安く食事を取れるところが誠に少ない。駅ビルの上の階なぞは、2000円からのスタートで、青天井ではないかと思える程。

 結局、1日目は駅ビルの中でビールとちびいカツライス合わせて1500円で妥協せざるを得なかった。2日目はアリーナ近くのサイゼリアでワイン付きで1000円で済んだ。だが、店内は高校生の集団がいくつも入り、煩いのなんの。入り口のドアには勉強のための入店禁止とか張り紙が出ているが、なに勉強だかおしゃべりだか分からないことを延々とやっているのである。店員もこちらは煩いので、と言って道路沿いのカウンター席に案内してくれた。

 この駅のバブル状態の一つのエピソードが、駅ビルに入っている三省堂の文具店。ほんのちょっぴりの文具がおしゃれに並んでいる。これでは採算が取れるハズもないのだが、将来を当て込んでいるのだろう。日本経済の再クラッシュも近いようだし、このバブルの消滅も直ぐであろう。

 横浜線は相変わらず目茶苦茶な込み具合である。プラットホームの関係から8両編成が最長らしいのだが、明らかに不足で10両編成をより多く走らせるべし。何しろ、いつ行ってもこの路線は朝のラッシュのように込む。それにしても人の流れを見ていると、町田を過ぎても横浜からの乗客が降りていく。明らかに八王子や町田と横浜の商圏や通勤通学圏の関係は横浜の圧勝。石原君は多摩地区に誠に冷たいのだから、いっそ八王子、昭島、福生あたりは全部神奈川県に編入したらばどうだろうか?

 と言う訳で、久しぶりの学会はおしまい。学術的な水準は当然ながら確実に上がっていくのに、それを生かすべき現実の世の中はどんどんぶっ壊れていっているのがシュールであり、落胆させられることだ。

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