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無理

仏暦2551年06月29日 日曜日

 秋葉原無差別殺人事件に関する議論は広がる一方。ここに至り、例によって例の如くと言うか、週刊誌サンデー毎日が、「犯人の家族の養育姿勢が極端に厳しく、これによって犯人の人格形成が歪んだのだ」と言う説を持ち出しました。

 まぁ、それは事実だったのかも知れません。だが、

「そんなに無理をしてまで子供に”難しい仕事”をさせなければならないのが日本」

であります。

 何しろ、様々な意味での技術を十分に高く蓄積して仕事をしないと、日本はご飯が食べられない。これは、何も良く言われるような”工学系の”技術だけには留まりません。
 例えば、日本を長らく圧迫して来たアメリカと言う重しがあります。それに便乗して甘い汁を吸ってきた日本人たちが随分沢山います。この連中の強欲を満たすために、大方の日本人は死ぬほど働かされて来た訳です。本来は、これをかわすためにもっと技術が必要だった。
 このアメリカの経済的な重しは壊れつつありますが、壊れる時に当然大津波がやって来ますから、波をかわすにも技術がいります。これは経営的政治的な技術と言うことになりますが、分かっていますか・その技術がありますか?担当者の方々よ。で、その担当者とは経営者とか国家運営の中枢にいる人々と言う事なのですが。
 アメリカ後の世界と伍していくためにも、所謂工学系の”技術”ではない非常に様々な技術が必要になります。世界の事を平明に認識しなければなりませんが、それらの仕事を単に語学屋通訳屋の下作業だとか、詰まらない低開発国に入れ込んでいる変人だとかとして侮蔑し続けてきたんですが、皆さんそれが分かっていますか?

 大小を問わず、土地や利権、暴力に寄生することで働いていない人々が、必死で働いている人々を苦しめています。

「育ちつつある子供も、立派に働いている」

のであります。

          †

 神戸方面の魚卸業の魚秀と神港魚類が、中国産ウナギを日本産と偽装していた件。

 かすかに奇異に思うのは、架空の地名をでっち上げていた事ではありません。銭金だけのために生きている人間は何でもやります。その地名が「一色」だったと言う事。

 30歳大以上の人々にとってはオウム真理教事件で著名になった地名「上九一色」のイメージはまだ残っていると思われます。魚秀と神港魚類がでっち上げた地名は「愛知県一色」のなんたらと言うものではありますが、「一色」と言う語感にイメージの悪さを感じなかったのかな?と言うこと。ここらへんが、”工学ではない技術”の一つ。まぁ、悪事を奨励する積もりは元よりありませんが、悪党連中にすらこのような技術が欠けていると言うのは何なんだか〜。

 ただし、実際の愛知県一色は確かにウナギの生産を行っている由。それと、当の上九一色村は合併により自治体名としては消滅しています。

          †

 工学系ではない技術と言えば、経済雑誌・東洋経済がホテルの接待技術についての特集をやりました。これは、昨今の銭金サイドと経営者の立派さとか組織論とかを専ら論じるビジネス雑誌類からすると相当異なった種類のものです。

 生産の本質とは人一人一人の労働の質にある(※量は、機械化されている現代においては必ずしも重要な要素ではなくなりました。また、量は、教育訓練システムの改善と言う形で質に転換されると言うのも、現代の大前提です。)以上、この記事は実にまっとうなものです。立地条件、部屋の快適さ等がそれなりに満たされると、残りの競争する要因はホテルマンたちの接客技術にあるのも間違いありません。そして、昨今東京ではホテル同士の激しい競争が行われており、どこに投資すべきかの判断基準を求める投資家が結構いるのでしょう。東洋経済紙は慧眼と言うべきです。

 廣島にとって惜しいのは、このような記事を読んで体験的に納得出来る程、リッチな人生を送っていなかったと言う事でしょうかね。(^_^;)

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 それにしても、ウナギの産地を偽装することは誰の目にとっても”生産的”であるとは言い難い。だが、非常に多くの偽装やらいんちきやら談合やらごかましやらが世の中に蔓延しております。廣島とて、そのようなごまかし仕事を傍らで見ていない訳ではないのです。必死に勉強と努力を続け、どうにかごまかし仕事をせずに済んでいますが。

 ごまかし仕事そのものは非生産的かつ有害ですが、若者の就労と言う観点からして甚だしい害を流しています。それは、

「いんちき仕事だらけの世の中で、若者が”これはマトモな仕事である”と言う認識を持ち、それに添って人生をコントロールするように成長する、と言うことはとてもではないが無理」

にしてしまっている、と言うこと。言い換えれば、

「働く、と言う事のイメージがぐちゃぐちゃになってしまっている」

と言う事。この”脳内破壊”が蔓延したならば、格差の蔓延どころではない破滅が日本を襲う事になります。

          †

 ところで、専ら従業員を締め上げて企業の利益を上げる、と言うのも実は経営者としてのごまかし仕事・いんちきワークである、と言うことは、皆さん分かっていますよね? 

          †

 それにしても、アメリカがここ十数年で金融やら投資やらの世界でやって来たインチキと無理、つまりは作り上げるバブルがどういうものか、色々な文献や記事を読んでようやっと理解出来た今日この頃。

 まず、世の中には昔から債券というものがあります。国債もローンの契約も手形も債券。

 次に世の中には、先物市場というものがあります。実物と株において証拠金のせいぜい3倍程度までの運用を認める、一種の保険のシステムです。これまた、極端には江戸時代に既にあったと言える制度。

 ここらへんまでは、廣島の年代でも大学の教養部程度の知識です。

 ところが、ここからが凄まじい。まず、債券を沢山集めてそれをつぎはぎ(トランシェ)します。この断片は、スーパーシニア、シニア、メザニン、エクイティと言う名前になる。最初の方が弁済優先順位が高いです。そして、この継ぎ接ぎをまとめてまた債券を作り直します。債券のフランケンシュタインですな。そして、それぞれの債券の市場を無理やり立ち上げます。仲間内で売ったり買ったり儲かったのなんの、と言うことを喧伝する訳です。

 ここで一つ手品を連中はやります。それぞれのフランケンシュタイン債券の信用度は、元債券の信用度を越えられないハズです。勿論、スーパーシニアやシニアでないメザニンやエクイティは元債券の信用度よりもずっと下がってしまうはず。だが、へ理屈をこねて、スーパーシニアやシニアでない劣後債も高い信用度があるかのように詐称する。それは、

「債券そのものに対する信用度を、債券発行元に対する信用度とすり替える」
※ご立派そうな格付け会社は、”債券に対する格付けをやっているのだ”と繰り返しアナウンスだけはしているのですがね。

と言うことをいつの間にかやります。格付け会社は、債券そのものの信頼性と言う概念を徹底追求するのではなく、継ぎ接ぎ債券をこさえた怪しげな会社そのものが担保してくれるから…といつの間にか論理をすり替えて、エクイティに高い格付けを与えます。

 勿論、連中の嘘とへ理屈はここでも更に発揮されます。怪しげな会社そのものがなぜ信頼性があると自称するかと言うと、余所で同じように作られたバブルな銭金が流れ込んでいるから…と言う訳です。(爆笑) そう、シャボン玉で遊んだ人たちは誰もが知っているように、泡を沢山作ってお互いをくっつけると、結構頑丈だったりするのと、全く同じことです。

 ここらへんでようやっと、世間で喧伝されるレバレッジ、つまり証拠金の何倍まで先物市場で売買できるか、と言う話が顔を出します。このレバレッジの率が物凄く大きい債券売買契約を作る訳ですね。弁護士がずらりと並んでいることで、このような厄介な契約書を作ることが可能になります。

「金融バブルの前に、弁護士バブル・司法バブルがあった」

と言う訳。今日本は、”司法業者”を大量に製造しつつありますが、その結果がどうなるかを考えるべきでしょう。

 閑話休題。

 なお、歴史的にはこのレバレッジの率を物凄く大きくするのと、債券を継ぎ接ぎすることと、継ぎ接ぎ債券の先物市場を作るのは大体同じようなタイミングで登場したようです。ですから、用語として”レバレッジ”と言うあたりだけがマスコミでは大手を振っている訳です。だから、分からなくなる。

 こうやって出来る世界と言うのは、まさにバブルの世界であり、実際のモノやサービスの流れの価値以上の何千倍ものカネがある、と言うことになっている世界。

「なんちゃってマネー」

の世界と申せましょう。これで無理がないと言うのならば、金魚が水槽から出て歩いていても何の無理もない、と言うべきであります。

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 それにしても、この意図的なバブルと言う奴、お料理に似ています。そう、パンをふかす過程にとても似ている。質の悪いパンと言うのはすかすかで、それによる型くずれを補うために矢鱈に固く焼かれているものです。

 連中は、食べ物からあんなこんなの発想を持ってきたものでしょうか。

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 高知県東洋町の野根中学校にて校庭がキク科植物ハルシャギクに埋め尽くされ、校庭が使用出来なくなっている由。

 校庭と言えば普通は子供たちが走り回るから、滅多なことでは雑草は繁茂しないはず…と思って情報を漁ってみたらば、果たしてこの学校の生徒数わずか12名! そもそも学校として存立できるかどうかと言う水準です。この町自体も人口3386名との由。

 で、校庭に持ってくる砂がなかったようで、校庭の回りに繁茂していたハルシャギクは認識していたものの、そこらへんの土を持ってきて校庭を盛り土してしまったようです。重機を入れる予算はあったものの、砂を買う予算がなかったと言うことから無理をしてしまったようです。

 マスコミの写真で見る限り、校庭が広大過ぎます。残念ながら、この学校には多くの無理があります。どうしてもこの校庭を維持したいならば、土を全て入れ換えるしかないでしょう。グラウンドとして使うだけの面積に留めながら。

            †

 アメリカ合衆国がやってしまった金融投資の無理には、別の無理が前提になっています。

「バブルを作るにしてもタネ銭が必要であり、そのタネ銭を持ってくるところからして無理がある」

のであります。これにはいくつかの経路があった訳ですが、主だったところは以下のようなところのようです。

 まず、日本からお金をひっぺがして持ってきた部分。所謂「円キャリー・トレード」によって持ってきた部分です。日本に低金利を強制することでこれが達成出来ています。日本人が日本に投資すべきお金が余りの低金利により、ことごとくアメリカに投資せざるを得なくなっています。

 これだけだと、アメリカ以外にも投資が流れてしまうのですが、日本のマスコミは円$相場だけをニュースとして垂れ流す事により、海外投資と言えばアメリカと言う雰囲気を増長しました。また、唯一残ったアメリカの力である軍事力も使えます。アメリカ以外に投資が流れようとすると、不安定な政治情勢をこさえれば良いだけです。

 次に、これまた日本からひっぺがしたお金。様々に難癖をつけて、日本にアメリカ国債を買わせました。数百兆円のオーダーになっているようです。勿論、びた一文アメリカはこれを返さないでしょう。

 次は、良く喧伝されている、住宅サブプライムローン。そもそも返す積もりもない連中に住宅資金として貸し付けた銭金です。タネ銭からしてなんちゃってマネーであります。

 アメリカ$が機軸通貨であることから、遠慮なく$を印刷することが出来た訳で、これは何番目かのタネ銭の作り方。これも$の価値そのものが本来もっと下がっていて、事実上のなんちゃってマネー化しております。

 そして、今やこれら全ても無理が祟って維持不可能になっています。アメリカは今や、タネ銭を作るところも、タネ銭をふかすところも全て無理が祟ってしまっている訳です。

「無理の帝国」

が、まさに今崩れつつあります。

            †

 ところで、お金がなくなれば、今やアメリカの唯一のパワーである軍事力も維持できないのは、小学生でも分かること。それとも、軍事力と言うお金よりもリアルな世界においても、なにか連中はふかしをやるのでしょうか? 軍事力においてふかしと言えば、昔から奇襲か超巨大兵器と決まったものではありますが。

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