歴史が変わっていてもし日本国憲法を「日本側」が全面的に起草した場合でも、それをやった人たちは「ホンモノの日本人」じゃなかったんだよね〜

 社会学の基本的な前提の一つに

「階級が存在する社会での階級同士は、基本的に別の社会集団である」

と言うものがあります。scienceたる社会学が基本的な分析要素を追求していくと、どうしてもそういうことにならざるを得ない。典型的には

「ヒンズー教社会における、バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラ・ハリジャン各階級」

は一つの社会ではありませんでした。だからこそ、あのセポイ独立戦争の際に、バイシャの相当部分、シュードラそして何よりもハリジャン(アウトカースト)は、無関心だったのです。

 さて、昨今日本と言う島国のウヨ化は実に凄まじいものがありますが、連中の叫び声の一つに

「日本国憲法は日本人が作ったものじゃない!よって廃止するべきだ!」

と言うものがあります。

 「他人が作ったものだから使わない」

と言うのだったらば、ウヨな御連中方々は原始的な農業・漁業だけをやって、道具も全て手作りでお暮らし遊ばせば良いかと存じ上げ奉る次第なのですが、それはさて置いて、では

「もし歴史が違っていて、日本国憲法がGHQの強い影響ではなく、”日本側”が作ったとしても、それは”日本人”が作った訳ではない」

のです。

 と言うのは、今もって保守系の政治集団はそうですが、彼ら彼女らは明らかに大方の日本国民とは別階級の集団です。親子代々政治家の地盤・看板・鞄を相続しているのですから、彼ら彼女らが完全に一個の階級社会であるのは明白です。


 この状態は、大日本帝国においてより顕著でした。女性には参政権どころか、独立した財産権や人権すらそもそもありませんでした。男子普通選挙ですら、大日本帝国がドツボに填まっていく1931年のほんの数年前に開始されたばかりであり、方向転換はほぼ不可能でした。大日本帝国は明らかに、

「薩長土肥(さっちょうどひ)を主体とする旧士族、皇族・華族及び追随して成り上がった人々」=ウヨ日本人

「これら支配階級以外の、働き者の人々」=サヨク日本人

に完全に分離された二つの社会が、天皇や軍事によって無理やり結びつけられた分断国家でした。結びつけていた主体は、勿論ウヨ日本人の側です。

 つまり、もし第二次世界大戦の敗戦後に”日本側”が憲法を全く独自に作ったとしても、それは

「大方のサヨク日本人にとっては別社会集団、もっとはっきり言えば異人・異国人であるウヨ日本人たちが作ったモノ」

になった訳で、アメリカ人が作ろうがウヨ日本人が作ろうが、他人が作った憲法であるのは変わりがない、と言う事になった訳です。

 だが、結果としてアメリカ人が作った憲法はなかなか出来が良く、働く人々であるサヨク日本人はこれを70年使い続けて、もっと使い続けたいと思っている。

「誰が作ったものであろうが、良いものは良い、として大事に使う」

のは、働く人々にとって極めて合理的で無駄遣いをしない健全な態度と言うものだからです。

 無駄づかいをする人たちは、亡びます。

 ではでは、また。

«「御伽噺の馬鹿の国」の年明け

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